Peter Slaghuis (1961-1991)先日、シカゴの伝説、Darryl Pandyが亡くなった。
これは1988年、オランダで行われたライブの模様。
ルックス、衣装、歌声どれをとってもあふれるレジェンド感。
ご冥福をお祈りいたします。
だが今回は、司会をしている金髪の白人に注目したい。
ブラックの音楽であるシカゴD.J.Internationalのライブで
どうして白人が司会をつとめているのか?
この彼こそが今回の主役、Peter"Hithouse"Slaghuisである。
1981年 彼のキャリアはDJ用のディスコMIXからはじまる。
Peter Slaghuis - Disco Breaks 1
彼の作るアンオフィシャルのEDITはDJに好評だったようで
このDisco Breaksシリーズはこの後Vol.14までリリースされる。
カットアップの腕を買われた彼は、次にリミックスをはじめた。
ABBA - Lay All Your Love On Me (Unofficial Edit)
若干20歳で、今のように機材も安くない時代。当然ながら
テープでのエディットなのだが、この鬼エディットはどうだ。
もはやテクノである。後のDJに与えた影響は計り知れない。
1984年 Video Kids名義で今度は歌手に。
Video Kids - Woodpeckers From Spaceイタロディスコで有名なAdams & Fleisner (X-RAY Connection)
によるポップなエレクトロ歌謡が大ヒット。
続編"Do the rap"とともに、世界中のディスコで流行った。
あのピングーもノリノリである。
1986年 Nu Shuuz - I Can't Waitをリミックス。
「レコード会社にリミックス頼まれたけど、俺この曲嫌いだからフック乗っけて、サンプル加えて、あとミックスを少し変えただけで提出してやったんだ!」
(Mixmag 1989)
リミックスというよりコピーに近い作りだが、ミックスの巧みさで
一躍この曲を世界的ヒットにしてしまう。マスタリング超大事。
Nu Shuuz - I Can't Wait
最初がリミックス、3:31がオリジナル。
サンプラーのAKAI S900をいち早く買っていたのも大きい。
「こんな売れると思わなかったから、150ポンドで契約しちまった。
印税にしてりゃよかった、チクショー!」
(Mixmag 1989)
このヒットの後、彼はロッテルダムでハウスDJとして活躍する。
シカゴの熱い波がオランダに到達した瞬間だ。
1988年 Hithouse名義での活動を開始。
Hithouseの名は、本名のSlaghuisを英語に直したもの。
持って生まれた名前がHithouseで、しかも本当にヒットするとは。
Hithouse - Jack To The Sound Of The Underground
Coldcutに影響を受けたサンプリングを多用するスタイルの
アシッドハウスはシカゴのそれよりもわかりやすく、ディスコでヒット。
この世界的な成功により、冒頭のシカゴ勢とのパーティーが実現する。
Hithouseとしては4枚のシングルと2枚のアルバムをリリースがあり
特に1stアルバム"Hithouse"は今でも全然通用する極上のアシッドなので
ぜひとも探して聴いていただきたい。
1990年 ヒットの後、彼は自らのレーベルを始める。
ここではレイヴスタイルを開拓し、ハードコアなサウンドをリリース。
Probrem House名義では若かりし頃のSpeedy Jも参加している。
Problem House - Take Me There
また、DJ仲間であるPaul ElstakとHoly Noise結成。
中年テクノファンならおなじみ、後のロッテルダムレコード総裁である。
L.A.Style - James Brown is Deadのアンサーソングをリリース。
Holy Noise - James Brown is Still Alive
ジュリアナテクノ全盛の波にも乗り、器用にヒット作を出し続ける彼の
プロデューサー力は世界一だと思われる。特に、あのロッテルダムのガバ
の元をたどるとシカゴハウスの影響があったなんて、感動的ではないか。
しかし、彼は1991年、交通事故によりこの世を去ってしまう。
まだ30歳の若さだった。
今回の紹介は主に彼の母親による、紹介サイトから引用させていただいた。
ゴールドディスクを多数受賞していたり、歌謡番組にも登場するなど
ずっとヒットし続けていた資料を見ることができる。
アシッドハウスをディスコへ昇華した彼の功績は今後も永遠に残るだろう。
文:MAESAKA
BootyMusicJapan