2012年07月25日

DJ Maesaka がヒップハウス専門ブログ開設!

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 当ブログでのヒップハウスのコラムが大好評だったDJ Maesaka氏から最近原稿をいただけないと思っていたら、自身でブログを始めていた。

「バブルな今、ニュースタイルなヒップハウスを紹介」というふざけたキャッチフレーズが強烈なこのブログは、シカゴの直球ヒップハウスから、ヨーロッパのヒップハウス、さらにレイヴ、エレクトロ、歌謡曲などに隠れたヒップハウスまでを、彼独自のユニークな視点から紹介しており、コアなファンから天久聖一ファンまで、楽しく学べる内容。必読!


DJ Maesakaのヒップハウスブログはコチラ!
The Nation of HIPHOUSE 



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2011年06月15日

シカゴ・オールドスクール#5 "Peter Slaghuis"

Peter Slaghuis.jpg
Peter Slaghuis (1961-1991)


先日、シカゴの伝説、Darryl Pandyが亡くなった。
 

これは1988年、オランダで行われたライブの模様。
ルックス、衣装、歌声どれをとってもあふれるレジェンド感。
ご冥福をお祈りいたします。




だが今回は、司会をしている金髪の白人に注目したい。
ブラックの音楽であるシカゴD.J.Internationalのライブで
どうして白人が司会をつとめているのか?

この彼こそが今回の主役、Peter"Hithouse"Slaghuisである。

1981年 彼のキャリアはDJ用のディスコMIXからはじまる。


Peter Slaghuis - Disco Breaks 1


彼の作るアンオフィシャルのEDITはDJに好評だったようで
このDisco Breaksシリーズはこの後Vol.14までリリースされる。
カットアップの腕を買われた彼は、次にリミックスをはじめた。



ABBA - Lay All Your Love On Me (Unofficial Edit)
若干20歳で、今のように機材も安くない時代。当然ながら
テープでのエディットなのだが、この鬼エディットはどうだ。
もはやテクノである。後のDJに与えた影響は計り知れない。


1984年 Video Kids名義で今度は歌手に。

 
Video Kids - Woodpeckers From Space
イタロディスコで有名なAdams & Fleisner (X-RAY Connection)
によるポップなエレクトロ歌謡が大ヒット。
続編"Do the rap"とともに、世界中のディスコで流行った。

 
あのピングーもノリノリである。




1986年 Nu Shuuz - I Can't Waitをリミックス。

「レコード会社にリミックス頼まれたけど、俺この曲嫌いだからフック乗っけて、サンプル加えて、あとミックスを少し変えただけで提出してやったんだ!」
(Mixmag 1989)

リミックスというよりコピーに近い作りだが、ミックスの巧みさで
一躍この曲を世界的ヒットにしてしまう。マスタリング超大事。


Nu Shuuz - I Can't Wait
最初がリミックス、3:31がオリジナル。
サンプラーのAKAI S900をいち早く買っていたのも大きい。


「こんな売れると思わなかったから、150ポンドで契約しちまった。
 印税にしてりゃよかった、チクショー!」
(Mixmag 1989)


このヒットの後、彼はロッテルダムでハウスDJとして活躍する。
シカゴの熱い波がオランダに到達した瞬間だ。




1988年 Hithouse名義での活動を開始。
Hithouseの名は、本名のSlaghuisを英語に直したもの。
持って生まれた名前がHithouseで、しかも本当にヒットするとは。

Hithouse - Jack To The Sound Of The Underground


Coldcutに影響を受けたサンプリングを多用するスタイルの
アシッドハウスはシカゴのそれよりもわかりやすく、ディスコでヒット。
この世界的な成功により、冒頭のシカゴ勢とのパーティーが実現する。

Hithouseとしては4枚のシングルと2枚のアルバムをリリースがあり
特に1stアルバム"Hithouse"は今でも全然通用する極上のアシッドなので
ぜひとも探して聴いていただきたい。




1990年 ヒットの後、彼は自らのレーベルを始める。
ここではレイヴスタイルを開拓し、ハードコアなサウンドをリリース。
Probrem House名義では若かりし頃のSpeedy Jも参加している。

Problem House - Take Me There


また、DJ仲間であるPaul ElstakとHoly Noise結成。
中年テクノファンならおなじみ、後のロッテルダムレコード総裁である。
L.A.Style - James Brown is Deadのアンサーソングをリリース。


Holy Noise - James Brown is Still Alive




ジュリアナテクノ全盛の波にも乗り、器用にヒット作を出し続ける彼の
プロデューサー力は世界一だと思われる。特に、あのロッテルダムのガバ
の元をたどるとシカゴハウスの影響があったなんて、感動的ではないか。








しかし、彼は1991年、交通事故によりこの世を去ってしまう。
まだ30歳の若さだった。




今回の紹介は主に彼の母親による、紹介サイトから引用させていただいた。

ゴールドディスクを多数受賞していたり、歌謡番組にも登場するなど
ずっとヒットし続けていた資料を見ることができる。
アシッドハウスをディスコへ昇華した彼の功績は今後も永遠に残るだろう。

文:MAESAKA




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2011年05月19日

【連載】シカゴオールドスクール#04"Fast Eddie(後編)"

【連載】シカゴオールドスクール#04
"Fast Eddie(後編)"

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Fast Eddie

ヒップハウスの起源は1984年、ロンハーディーがアレンジを手がけた
52nd Street "Can't Afford"のB面にさかのぼる。
しかしそれはラップ入りのハウスであり、ヒップハウスとは違うとファーストエディは言う。

"Hip-house is a new style that I created all around the world they're devastated by the hip, which is short for hip-hop and by the house, which is rising to the top."
「ヒップハウスは俺が作った、まったく新しいスタイル。ヒップとハウス、足元からてっぺんまで世界中がイチコロさ。」
(Fast Eddie - YoYoGetFunky)

たいていのヒップハウスはこんな具合に「ヒップハウスは新しいよ〜」とか
そんなことしか言っていない。そのかわり、トラックが強烈なのだ。

"ヒップハウスのラッパーはスキルを磨いたり、賢いことを言う必要はない。
客を躍らせることが最優先で、あくまでトラックが中心だから。
だから多くのヒップハウスのラッパーは広告や飾りに過ぎない。"
http://fourfour.typepad.com/fourfour/2005/11/diddy_really.html

このメッセージ性のなさがヒップホップとの大きな違いであり
ラップ入りハウスとヒップハウスの違いではないかと思う。

この軽〜いノリではじめた彼は1990年、ギャングスタラップに
方向を転換し、"Make Some Noise”をリリースする。サイレンが鳴り響き
アシッドとラップで展開するこの曲は、雰囲気が今までと違っていた。
 
 


1991年 ヒップハウスはレイヴミュージックの台頭とともに古いスタイルになってしまい、彼の人気も衰えていった。
アルバムとしては最後の「Straight Jackin'」をリリース。
皮肉にもデビュー当時のような楽しい音作りの曲が多く、アルバムとしては最高傑作だと思う。
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1992年 リリースが止まり1年。突如「Bak On Da Scene」リリース。
ハードコアのスピードについていく高速ラップでまだまだキレる!いける!わいや!わいはシーンに戻ってきたでえ!
 

1993年 UC(UNDERGROUND CONSTRUCTION)から
「No Vocals Necessary Volume 1 」リリース。
このタイトルは俺もうラップは卒業だ!という意思の表れか。
しかし、残念ながらVol.2が出ることはなかったのだった。


彼を支えてきたD.J.Internationalもついにこの年、店じまいしてしまう。

1994年 ダンスマニア、リリーフなどシカゴの次世代が盛り上がりを見せ
レジェンドである彼に目が向けられた。DJ FUNKとDJ SNEAKが曲を提供、
久しぶりに切れのあるラップを披露した。
 
(DJ Sneak"Booty Call")


 
(DJ FUNK "Pump It")


1998年 イタリアのDJ Morellaが彼に注目、Heaven17の名曲"Let Me Go"
をベースにラップしてもらうというオファーが来る。ヨーロッパでヒット。

2003年 DJ Jesとともに2枚組「Break The Silence」で復活宣言。しかし…


2009年 UKブレイクスシーンで有名なDJ FRIENDLYのプロデュースで
「It's The Weekend」発売。バッチリハマって衰え知らず!
 


2010年 Robbie Riveraプロデュース「Sip My Drink」発売。
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ジャケットのピントは彼に合っていて、プロデューサーは半笑いで
後ろから見ている。あの人は今的起用なのかもしれないが、リスペクト
が感じられるPVも作成された。ひさびさに見た彼の姿は太ってはいるが
ラップのキレはあの頃と全く変わっていない。もはや完全復活である。
 
 



2011年 「Believe 'N Sex」発売。今現在、エレクトロディスコな原曲では
なく、未発売の新バージョンがYoutubeで聴ける(18禁)
彼によれば、このゲットーテックバージョンはまもなく発売だという。
「やりたいぜー!イエー!」しか言ってない、最高のBootytuneだ。




現在、彼はTwitterを @DjFasteddie の名でやっている。
日本とは使い方が違うのか、リツイートとフォロー増やそう組合の
ツイートばかりなのだが、レジェンドの近況がわかる貴重な場所だ。

また、http://djfasteddie.com/ ではトップに写真があり
1994年までのヒット曲が書かれている。ここ最近の曲は全盛期に迫る
勢いがあるので、もう一度、世界にヒップハウスを響かせて欲しい。


文: MAESAKA
GIG・・・2011/5/22 [DEAD DISCO CLUB vol.3] at METRO(Kyoto)




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2011年05月10日

【連載】シカゴオールドスクール#03"Fast Eddie(前編)"

【連載】シカゴオールドスクール #03
"Fast Eddie" (前編)

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Fast Eddie 【Edwin A. Smith】

いわずと知れたヒップハウスのレジェンド。1986年、彼はシカゴのラジオWGCIやWBMXでキャリアを開始する。
在籍中、Kenny Jammin Jasonと競作した"Can U Dance"はPOPなダンス
チューンで、日本でもディスコを中心にヒットした。


1988年にはラジオをやめ、名曲"Acid Thunder"をリリース。
この時代TB-303の安易な垂れ流しが多い中、シングルバージョンは
歌入りで曲としても成立させ、303をベースと上モノの二通りで使っている。
流行をうまく自分のものにする、この距離のとり方がすばらしい。


"Acid Thunder" (1988) 


さて、いよいよ彼の代名詞「ヒップハウス」期にはいる。
1988年、"YoYoGetFunky"リリース。

定番ブレイクLyn Collins "Think"を4つ打ちのビートに落とし込み
ハウスのBPMでラップし、バンバータの声ネタをふりかける。
この単純だが新しいサウンドはアメリカ、フランス、スペイン、イギリス
ドイツ、オランダのレーベルに次々とライセンスされた。


"Yo Yo Get Funky" (1988)


※よく聴くとThink以外にも鈴の音を鳴らし続け、常にハイが埋まっている。
 鈴の音といえば、日本では大滝詠一さんの特意な手法。
 そう、ファーストエディーはナイアガラサウンドである!(泥酔)
 
A面で恋をして - ナイアガラトライアングル Vol.2



1988〜1990年、売れに売れた彼の様子を見てみよう。

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1988年発売のデビューアルバム。まだ朴訥な好青年といった感じだ。
何せこのときは名前が"FAST☆EDDIE"である。

ジャケット裏面もアイドルさながら!

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「俺の名前だって?」
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「いいかい?忘れちゃダメだぜ」
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「ふぁ〜すと☆えでぃって言うんだ!」




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1989年にはセカンドアルバム"MOST WANTED"発売。
ぐっとイカつく、当時のラッパーらしいスタイルになっている。


この頃の貴重なテレビライブも見てみよう。



自分の名前入りセットアップに金のチェーンネックレス、しぶい!



しかし・・・
世界中でヒットしたヒップハウスは、1991年には廃れてしまった。

この後、彼はどうしていたのか、何をしていたのか…(後編につづく)




文:MAESAKA 
DJ予定: 2011/5/22 "DEAD DISCO CLUB vol.3" at clubMETRO info



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2011年04月10日

【連載】シカゴオールドスクール#02"デビュー作から歴史を知る"

 80年代のシカゴハウス、有名曲は知ってるけれど、
アーティスト達がはじめて出した曲はどんな曲なんだろう?
Discogsの年表をもとに、ハウスの歴史とあわせて聴いてみよう。


1977年 クラブ「ウェアハウス」オープン。 DJ:Franky Knuckles

1981年 ラジオWBMX「HotMix5」スタート。  DJ:Farley "Jackmaster" Funk

1983年 ウェアハウスからFranky Knucklesが去る。
            クラブ「MUSIC BOX」新装オープン。DJ:Ron Hardy



1. ハウスのはじまり  ディスコのなごり
"オープンリールテープを持っていったことを覚えているよ。スタジオで作った音源のテープをそのままロンに届けに行ったんだ。
当時のMUSIC BOXにあったPIONIERのオープンリールデッキには
ピッチコントロールが付いていたんだ。そして彼はターンテーブルのように使っていたよ!
(Chip E)

http://diskunion.net/clubt/ct/news/article/2/954
(引用:diskunion HP)



Jesse Saunders - On & On 【1984】


Farley "Jackmaster" Funk - Aw Shucks (Let's Go Let's Go) 【1985】


JM Silk (Steve "Silk" Hurley) - Music Is The Key 【1985】


Virgo (Marshall Jefferson, Adonis,Vince Lawrence) - Free Yourself 【1986】


Mr. Lee - Shoot Your Best Shot 【1987】



2. 連呼系ハウス登場
1985年には異常な盛り上がりを見せたハウスは成熟し
どんどん過激になり、妙な音楽がリリースされるようになる。リズムマシンと声連呼だけでフロアが盛り上がるようになったのだ。
90年代のテクノに続くこのノリ、当時のデビュー曲を見ていこう。


Bam Bam - You've Been Messin Around 【1986】
風呂場で男がけだるくささやく。こんなんで盛り上がるのか??


Tyree - I Fear The Night 【1986】
「えっこの人…ドヤ顔で私をプロデュースするって…808しか持ってないのに…」


Mike Dunn - Dance You Mutha 【1987】
「お母さーん、ダンス!お母さーんおかあさーん」


Mike "Hitman" Wilson - Hittrax 【1987】
ハハハウハハウハハハハウピ!


Fast Eddie & Tyree & Chic - The Whop 【1987】
リズムとわっ!わっ!言うてるだけの曲になぜか3人がかり。


Jody "Fingers" Finch - Jack Your Big Booty 【1987】
RZ-1+ボイス連呼の流れはここから始まった!!


Phortune - Can You Feel The Bass 【1988】
DJ HellのX-MIX5にも収録、野太い声がフロアに映える!


Steve Poindexter - Work That Mutha Fucker 【1989】
声系の超、超大ヒット。リズムが硬い!



3. アシッドハウス
"I've Lost Controlをやったとき、メ〜ン、叫び声を入れたけど、おれはブラック・サバスやツェッペリンみたいなムードを出したかっただけなんだ"
ブラック・マシン・ミュージックから引用)

正統派ハウスから過激になったハウスは、怪しいトリップ・サウンドを生み出した。303の音色だけでなく、アシッドムードを表現することに成功した人たちだ。


 
Sleezy D. - I've Lost Control 【1986】


Phuture - Acid Tracks 【1987】


Adonis - No Way Back 【1986】


Armando - Land Of Confusion 【1987】



4. 90年代  シカゴ第二世代のスタート
TRAXのレーベルオーナー、ラリー・シャーマンはレコードがいくら売れても若いシカゴのクリエイターにお金を払わず、いくつもの訴訟にあっていた。そうして80年代の終わりには、シカゴに主要クリエイターはいなくなっていた。そんな中、後にダンスマニアやリリーフで活躍するシカゴ第二世代が動き始めた!


Paul Johnson - Time Warp 【1990】
当時19歳の彼は、スタートからゲーム音源をジャック、センスが違う!


文: MAESAKA




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