2016年06月27日

食品まつり a.k.a Foodman『Ez Minzoku』 発売記念インタビュー


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先日Orange Milk Recordsからアルバム「Ez Minzoku」をリリースした日本のジューク/フットワーク・シーンを代表するプロデューサー食品まつり a.k.a Foodman。日本のみならず今や世界的に注目を集める彼にアルバムの制作秘話や自身の楽曲制作について聞いた。
 (Interview by 徳永 刻 aka kizaam)


ー 今日はよろしくお願いします。まずアルバム「Ez Minzoku」リリースまでの経緯を教えてもらえますか?

2012年にOrange Milk Recordsから音源をリリースしないかとレーベルオーナーのKeith(Keith Rankin a.k.a Giant Claw)からアプローチがあって、2012年5月に「Shokuhin」というEPがリリースされたんですよ。で、それの後にまたKeithから連絡があって、「今度はLPを作らないか?」っていう話を貰ったんです。当初の予定では2015年に出るはずでした。


ー 2015年というと「COULDWORK」(2015 / melting bot)がリリースされた年ですよね?

そうですね。「COULDWORK」の後くらいにLPが出る予定だったんです。だけど制作が結構遅れてしまって、ようやく今年リリースできたという感じです。


2012年にリリースされたEP。食品まつりの快進撃はここから始まった。



melting botからリリースされた食品まつり初のCD作品。クラシック’karasu VS suzume’のDLコード付き。




食品まつり a.k.a Foodmanの最新アルバム『Ez Minzoku』。


ー アルバム収録曲はすべて食品さんが選んでるんですか?

Keithからは2曲リクエストを貰ったんですけど、それ以外の曲は自分で選んでいます。今までの自分のアルバムは弾き語りが入っていたり、結構とっちらかってることが多いんですけど(笑)、今回は音色とかをそこそこ統一させて、一つのアルバムとしてのまとまりみたいなものが出せればいいなと考えて作りました。


ー 『ARE KORE』(2013 / Dubliminal Bounce)に収録されていた曲が2つ(「Mid Summer Night feat.Diskomargaux」「Minzoku」)、今回のアルバムにも収録されていますね。

この2曲はsoundcloudに上げてたんですけど、Keithからこの2曲が好きだから入れたいって言われたんですよ。ぶっちゃけ他の曲の音色の感じとあの2曲ではテイストが違うなと思ったんですけど、まぁ俺も好きな曲だしずっと同じ感じが続くよりはいいかなと思って入れました Diskomargauxさんとの曲をいいと言ってくれている方が何人もいらっしゃって、 入れてよかったなぁと言う感じです。


食品まつりのジューク/フットワークに対する初期衝動が爆発した傑作。


ー アルバムのまとまりというのは聴いていてすごく感じました。ヘンテコでポップな曲の並ぶ前半、Diskomargauxさんをフィーチャーした「Mid Summer Night」からダンスミュージック的な要素が強い曲が並び、最後の「Rock」でまたヘンテコな世界に戻ってきますね。何度も頭から聴き直したくなります。

そう言ってもらえて嬉しいです。今回のアルバムの裏テーマというか、こういう事を意識しながら作ったということがいくつかあるんです。
昔、パソコンをメインで使う前の頃、パソコンのシーケンサーでシーケンスを組んでMIDI音源を鳴らして曲を作っていた時期があるんです。J-POPのMIDIデータを引っ張ってきて、それをMIDI音源で再生したりしていました。ある時データの読み込みがうまく行かなくて、前に読み込んだ曲と入れ違った状態で再生されたんですね。その時にとてつもない音楽が流れたんです。本来ならピアノが鳴るはずのところで全然違う楽器が鳴ったりして、これはヤバいなと思いました。MIDIでもグリッチ感みたいなものがあるんだなと。

グリッチってMAXみたいなソフトを使ってオーディオをプロセッシングして作るイメージなんですけど、MIDIというちょっと前時代的なものを使ってグリッチ的な感覚をやりたいなと思ったんです。オーディオのグリッチの場合はピシッ!ピシッ!みたいな鋭いイメージなんですけど、MIDIのグリッチの場合はもう少し間抜けな感じというか、間違って再生されちゃったような感じになるというか…。

MIDIのグリッチという感覚が、最後の曲「Rock」には結構入っています。あの曲は本来キックが入る位置にギロが入っていたりとか、本来ハットやスネアが入る位置にコンガがなっていたり、リズムの組み合わせをバラバラにしてリズムに違和感を持たせています。まー、「Rock」は言っちゃえばダサい感じのロックの人みたな曲なんですけど(笑)、一番聴かせたいのはそういうリズムが入れ替わっちゃってるところなんです。MIDIのグリッチ感はアルバムの全体的な裏テーマでもあります。



アルバム『Ez Minzoku』の最後を飾る「Rock」。


裏テーマは他にもあります。ちょいちょいTwitterとかでも言ってるんですけど、ナイヤビンギってあるじゃないですか?あれを進化というか、自分なりに解釈して表現したいなと。ナイヤビンギとフットワークって近いラインにあるんじゃないかと個人的に思っているんです。例えばアフリカの音楽はスゴい計算されていて全てのリズムが綿密に構築されていると感じがあると思うんですけど、ナイヤビンギはただマリファナを吸って陶酔して太鼓を叩いている感じがして面白いんですよね。あれをその状態のまま未来に持って行ったらどうなるのかやってみたいなと。

あともう一つ、前に別なインタビューでも話したんですけど、子供がご飯を食べる前に茶碗をカンカンカンカンと箸で叩いていることあるじゃないですか?あの感じも今回入れたかったんです。別に音楽をやってる訳じゃないんだけど、そこには音楽以前の超絶にプリミティブな感覚があるじゃないですか?「食べたーい!」みたいな(笑) あれにフットワーク的なものを何となく感じて。フットワークにはスゴく計算されたところもあるんですけど、計算ではできないもっとプリミティブな部分を抽出して表現したいという気持ちもあったんですよね。
今回のアルバムは「Ez Minzoku」と言うタイトルなんですけど、だれでも簡単にできるような音楽で、簡単に原始的だったり民族的だったりする記憶に戻れるというか、そういった意味が込められています。


ー 「Ez Minzoku」というタイトルにつられたせいもあると思うんですけど、アルバムの前半を聴いている時に民族音楽のレコードなりCDなりをちょっと勉強気分で聴いている時と似たような感覚がありました。

それは嬉しいです。図書館とかでインド音楽のCDを借りて聴く感じですね笑


ー 曲作りについて質問があります。曲を作るときにまずどのパートから作るとある程度は決まっているほうですか?

割とバラバラにやったりすることが多いんですね。今回のアルバムのような音だと、上音から作るパターンとリズムから来るパターンと半々位でやっています。作っていて飽きちゃわないように。リズムだけずっとやっていると飽きてきちゃったりするし、上音だけをやっていても飽きちゃうし。


ー 曲を作るときは、最初から頭の中にあるイメージに近づけていくほうですか?

今回のアルバムに関しては、多少コンセプトと言うのようなものを思いながら作っていますが、基本的にいつもはあまり考えずに作っていますね。ソフトで作る時とハードで作る時の2パターンあるんですけれど、適当にiTunesからサンプルを引っ張ってきて、何も考えずに適当にとりあえず触ってみて、「あー、いい感じになってきたな」と思ったらリズムを入れたり色々いじってみる感じですね。フットワークを作るときは前もってある程度フットワークを作ろうと思って作っていますけれど、基本的にはいつもランダムな感じでやっています。あと、割と手癖でやっちゃう感じがあります。その手癖が自分の特徴になることもあるので。

僕の前のアルバムとかはジャンルがバラバラだったりするんですけど、それは同じ曲をずっと作っていると飽きちゃうからですね(笑) 飽きないように次はこれ作ろう、次はこれ作ろうって作ったものがたまたまリリースされたといった感じです。今回は長い曲が多いですけど、前は短い曲が多かったですね。1分とか2分とか。ジュークも結構短い曲ありますよね?1分とか1分半とか。それも僕がフットワークの人たちに共感する部分ですね。多分途中で飽きてめんどくさくなったじゃないかなぁと(笑)あと、Principeってレーベルから音源をリリースしているリスボンのゲットーの人達の音源をよく聴いているんですけど、彼らも曲が短くて、30秒とかでどんどんミックスするみたいですね。



Principeの代表的アーティストDJ Marfoxの音源。


ー 食品さんの曲名は結構独特と言うか、まぁ言うたらそのままの曲名を付けるじゃないですか。横笛を使った曲で「Yokobue Da Yo」とか、泡っぽい音を使った曲で「AWATARO」とか。あれって曲を作ってる時にイメージを思い浮かべて曲名を付けてるんですか?


まさにその通りで、曲を作り始めた時はどんな曲ができるのか分からないんですけど、5割方できたら「あー。なんかこういう感じなってきたぞ」ってなって、完成したときにだいたい10秒位で考えるんです。まぁ、大喜利みたいな感じですね。大喜利のお題を出されてパッっと答えると言う感じです。曲名は毎回ほぼ適当というか聴いたままというかそういう風にして決めてます。
今回のアルバムに関しては、『EZ Minzoku』っていうフレーズは前からあってそれを使ったんですけれど、結構アルバムのタイトルとかも1分以内で決めちゃいます(笑)



「AWATARO」。Paisley ParksのレーベルБh○§†からリリースされた『Hamakkao EP』に収録。



ー 今回のアルバムの2曲目「Uoxtu」は曲の途中から入ってくる声ネタの事ですよね。

まさに。あの「うおっ」で「Uoxtu」だと思って(笑)

まぁ自分のアーティスト名も適当に決めたような名前なんで(笑) まぁ、ほぼ意味はない感じなんですよね。シカゴの人達はどうなんですか?曲名とか割と考えで決めてるんですかね?


ー いやー、たぶん適当ですね。サンプルした元ネタの名前をそのまま使ったりとか…。そういえばDJ Mannyの曲でスゴいのがありました。「Kyoto Jazz 2011」っていう曲なんですけど、Kyoto Jazz Massiveをサンプリングしてるんです(笑) あまりにもまんますぎて、逆にかっこいいなーって思いましたね。

「Kyoto Jazz」はヤバいなー(笑) シカゴの人の感覚はすごいですね。今日、D.J.Fulltonoさんと会ってたんですけど、Booty Tuneからリリースされる予定のDJ Romeの音源を聴かせてくれたんです。2人で爆笑しましたね。なんか田舎もんのおっさんみたいな声が入ってきて、すごい唐突にすごい適当にループしたり、パッと音がなくなったり、パッと入ってきたり、「この音楽は何だ!?」って感じでした。あれは通常の感覚ではできないですよね。


DJ Manny「Kyoto Jazz 2011」



傑作コンピ「Bangs & Works Vol.2」に収録されているDJ Romeの曲。


ー ポーランドのUnsound Festival出演が決まったり、NTS Radioのレギュラー番組が決まったり、Mad DecentのサブレーベルGood Enuffからリリースしたり、食品さんへの海外からの評価がすごい高まってるじゃないですか?ここ最近で自分を取り巻く状況が変わってきた実感はありますか?

そうですね、何か変わってきた感じがあります。最近、不思議なとこから連絡が来るようになりましたね。Good Enuffの親レベルのMad DecentはもっとEDM寄りというか、パーティーな感じの音楽じゃないですか? 僕がやってるのはジュークの中でも少しエクスペリメンタルなタイプの音だから、ちょっと不思議ではあったんですよね。何をどこを聴いて、なぜ連絡を取ろうと思ったのかがちょっと気になる感じというか…。最近はそういう意外なところからお声が掛かることはよくあります。理由はよく分かんないんですけど。

Facebookとかsoundcloudで外国の方がメッセージをくれることがあるんですけど、僕がsoundcloudにバカバカバカバカと曲をアップしまくるのがすごく良いっていう感想を何度か貰ったことがあるんですね。 曲をガンガン作って頑張ってるぞって感じに共感してくれてるのかなぁと勝手に自分では思っています。




Good Enuffからリリースされた曲「Robo Taiko」


 ー 食品さんって曲を作るのは速い方ですか?

めちゃくちゃ速い時とすごい遅い時がありますけど、基本的には速い方だと思います。OKを下すラインを結構低く設定しているんですよね。客観的に考えると本来だったらもう少し詰めるだろうなって曲でも、パッと終わらせて次の曲に行きます。結構こだわり過ぎると曲の完成が遅くなってしまうんですよね。

制作中の同じ曲を何度も聞くのが苦痛なんですよ。なるべくサッとやってパッと終わるって感じでやります。インタビューを読むとケニー(CRZKNY)さんも凄いスピードで作るみたいですね。 ケニーさんの方が全然速いと思いますけれど。僕もある程度適当なところでサッと切り上げていくという感じです。

テンションが大事かなとよく思います。テンションが落ちちゃうとYouTubeで昔のCMと観はじめたりとか、そんな感じで時間が過ぎちゃって曲が作れなくなっちゃうんです(笑) 「曲を作るぞ!」ってテンションの高いうちに仕上げることを意識しています。


ー ライブについて伺いたいです。ライブをするアーティストはある程度決まった内容をする方もいますけれど、食品さんの場合は毎回内容が違いますよね?

そうですね。単純に飽きてしまうんで、ライブは毎回かなり変えています。同じ曲を何度も聴いたりすると、テンションが落ちた落ちちゃうところがあって。 ライブの前の週とかにライブ用の曲を新たに作ったりして、自分のテンションを上げていきます。
例えば自分の持ち曲でアンセム的な曲のあるアーティストだと、ライブの度に同じ曲をバーンってやって反応があったり、そういう楽しみもあると思うんですけど、僕の持ち曲にはそういうアンセム的なものがないんですよ。カラスのフットワークなんかは知ってくれている方がいると思うんですけど、あの曲が掛かったところでフロアが何とも言えない感じになるというか(笑)



カラスのフットワークこと「Ctow&Sparrow」。『COULDWORK』の日本盤CDに収録。

DJとかだったら日によってサクッと全体を変えることがしやすいと思うんですけど、ライブだとなかなかそんなにガラッと変えることはできなかったりしますよね?僕はライブではKorgのElectribeを使うんですけれど、Electribeは結構曲を速く作れて、割と簡単にライブの構成をガラッと変えることができるんですよ。

ちょっと前に名古屋でアルバムのリリパをやった時、自分のアルバムに入った曲を一曲もやらなかったんですよね。ライブが終わってから店長に一曲ぐらいやれよって言われて、最後にアルバムの曲を1曲流しました(笑)

たぶん自分のライブを見た人は「この日は良かった」「この日は良くなかった」って感じで観る度に印象が違うんじゃないですかね。日替わり定食じゃないですけれど、そういう感じも面白いのかなと思ってやっています。

今日も古殿さんといろいろ話をしてたんですけれど、DJの人が自分の作った曲をDJ出かけるみたいなことに最近凄く憧れてるんですよね。僕も時々DJやりますけれど、まぁ適当にやってるだけなんで、DJと言えるのかどうかっていう感じなんですけど…。近いうちにガチでフットワークのDJをやってみたいなーって思ってるんですよね。 まぁライブでジュークをやるという自分のスタイルを否定するみたいになっちゃいますけれども、やっぱりフットワークは花形はDJだと思うんですよね。

昨日、Battle Train Tokyo(以下BTT)でめちゃくちゃ感動したんですよ。Yamato君とLittle-G君の師弟対決があったんですけど、バトルの後に負けたLittle-G君が悔しさで泣いちゃって。本当にダンサーの人たちってすごいなぁと思いました。古殿さんと話してたんですけれど、ジュークのDJもトラックメーカーもみんな真剣にやってるんだけど、ダンサーの人たちは体を使ってやってる分、真剣さの度合いが桁違いだなって感じがしてたんです。俺もそんぐらい真剣にやれてるのかな?みたいなことを思いましたね。 いやー、本当にBTTで刺激を受けました。



先日BTTで行われたYamato対Little-Gのバトルの模様。


ー DJもトラックメーカーもダンサーも集まるBTTって本当にいい場所ですよね。

音だけでなくフットワークダンスもちゃんと取り入れて、それを自分たちの解釈でやるという、ジャパニーズ・フットワークを象徴ような場所ですね。あと、 昨日BTTを観てやっぱりまたバトルトラックを作りたいなぁという気持ちが高まってきています。

ー バトルトラックはリズムが独特で本当に面白いですよね。

あの独特な音に合わせてフットワークダンサーが踊って成立する感じが面白いなぁと。 そいうえばBTTで古殿さんがDJの最後にTheater 1(D.J.FulltonoとCRZKNYのユニット)のアンビエントな曲を掛けていてそれもカッコ良かったです。 古殿さんに誰の曲ですかって聞いたらTheater 1だって教えてくれて。  Theater 1はすごいですよね。あと、その前にヤンスモ(Young Smoke)が掛かっていてやっぱりヤンスモはいいなぁって思いました。

ー 自分も最近ヤンスモを聴き直していいました。BOTC系の最新進化系のJlinが世界的な評価を得た今だからこそ、ヤンスモの真価が分かるんじゃないかと思ったんです。今ちょうどいいというか…。

ぶっちゃけみんなヤンスモのことを話題に出さないじゃないですか?ヤンスモがあれだけ独特な音楽を作っているのに、みんなあまり注目しないのが不思議な感じがするんですよね。

僕もゲームの戦闘シーンっぽい音楽を作ったりするんですけれど、ヤンスモもそういう曲が何個かあるんですよね。スペーシーなシンセがファーファーって入って、それにちょっと安っぽいマリンバみたいな音が入ってきたり。なんかすげえ癒されるんですよね。ちょっと出てくるのが早すぎたんじゃないかなと。今ぐらいに出てきたらもっと話題になったんじゃないかと思うんですよね。

ヤンスモとか聴くと、ああいうシンセを使ったフットワークにはまだまだ可能性があるなと思います。そういう新しい可能性に挑戦したバトルトラックを作って、それを使ってDJをしたいなと。 今はそれを目標にしています。



Theater 1はD.J.FulltonoとCRZKNYが160BPMの可能性を追求するために始めたユニット。




3連の女王ことJlinの最新リリース。



ヤンスモことYoung Smokeはスペーシーなシンセが印象的な独特なフットワークで知られている。

ー 今後の予定を教えてください。

7月1日(金)大阪のClub STOMPでアルバムのリリースパーティーがあります。POWクルーの皆さんに色々手伝っていただき開催することになりました。是非チェックしていただきたいです!D.J.FulltonoさんやCasioトルコ温泉など出演予定です。自分はソロだけでなくBo NingenのTaigenくんとのユニットKISEKIでもやります。自分のリリースパーティーですけれど、自分がお客さんでも観に行きたいという面子ですね。それぞれ違う場所で面白い音を出しているアーティストがたくさん出演するので、これをきっかけに色々つながればいいなと思います。詳細はこちらをチェックしてみてください。http://club-stomp.com/2016/06/05/pow-foodman-ez-minzoku-release-party/

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KISEKIは7月16日(金)に名古屋のCLUB JB'Sでもライブをやります。Good Wheatherが主催するLily(ex. Ultrademon)の名古屋公演です。この日はCRZKNYさんも出演しますね。
あと、7月29日(金)に今日お話したPrincipeの看板アーティストDJ Marfoxの東京公演に出演することが決まりました。

秋にはヨーロッパツアーをやります。  今のところ発表されてるのはポーランドのUnsound FestivalとドイツのPre-3hd Festivalだけですが、UKなど他の国でもライブをやる予定です。

リリースに関しては、Good Enuffからもう2曲リリースされる予定です。 Good Enuffの次のやつは結構フットワークです。 個人的には今年1番気に入っている曲だったんですよね。カラスの曲っぽい感じです。これはフットワークバトルにも使えるんじゃないかなぁという気がしてます。

その他に、来年にリリース予定のアルバムなどいくつかのプロジェクトが進行中です。次のアルバムは「Ez Minzoku」とはまた全然違う感じでやろうと思っています。割と今までベースとかリズム抜きにしてやってきましたが、またドラムの感じも入れたいし、もうちょっとブラックミュージック的なビートミもやりたいなと思ってます。

あと、ネットラジオ局NTS Radioでレギュラー番組が始まりました。http://www.nts.live/shows/foodman 毎月1回放送される予定です。ライブ、リリースやラジオの放送日はtwitterのID: @shokuhin_matsuriをチェックしてみてください。

ー 今日はありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。

posted by BootyMusicJapan at 02:37 | TrackBack(0) | Interviews | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月13日

LiteBulb(TH王RA) Interview (English Version)

Written by Tokunaga KizamuBooty Tune)


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If you ask the name of footworker who has been dancing on the many stage of the world, the answer will be LiteBulb. 

He is one of the best foot workers from Chicago & a leader of Chicago's finest footwork crew "THRA"(THE ERA).His join of the Hyperdub's 10th anniversary closing tour in Japan became a big news for Japanese Juke/Footwork fans.

Fortunately, we had a chance to interview him.


It's pleased to hear your join of Hyperdub Japan tour for its10th anniversary.  It becomes a hot topic among Japanese Juke/Footwork community that you and DJ Spinn come and join to Japan tour. Do you know  about Juke/Footwork scene in Japan? 

LiteBulb: Yeah! I'm very excited as well along with the rest of the guys from THRA about coming over to Japan, It's history in the making. In all I'm very aware of the Japanese footwork scene, I first heard about it from Jaron in 2012 but soon after I saw more of the movement for myself, I know about the very popular event Battle train Tokyo that I plan on competing in for the first time and also about Booty Tune records, Shinkaron and the whole movement they helped cultivate, I actually got a chance to meet D.J.April, Weezy and D.J.Fullatono this summer when they visited Chicago! Even initiated weezy into THRA while he was here! It was amazing to be apart of.


What is your idea about Juke/Footwork scene has been spreading over the world.

LiteBulb: it's a great feeling to know that after 20 years something we all love to do is just now reaching new heights it's never seen before!  it's inspiring and influential to me and really helps our determination in pushing the culture even harder than before!. It actually needed to spread to give it life again seeing as though the scene in Chicago grew smaller Over the years it meant to happen this way!.

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How did you know Juke/Footwork Scene at your country? 

LiteBulb: Well if you were from the City or suburban areas of Chicago you knew about the Juke/Footwork scene. I was practically raised in it, I didn't always know how to do it though lol....I really caught on to the scene while in my sophomore year of high school back when I was apart of a dance Troupe called "3rd Dimension" now called "The Empire" ran by Latisha "Tish" Waters, I was only interested in foot working but I had to learn choreography to actually perform on stage and events held locally throughout the city just so I could practice and perform footwork!. In due time Tish introduced me to "T.Y" from Terra Squad who invited me to come tryout for the group, from there I  joined my first battle clique and became apart of the scene indefinitely, had to work my way up the ranks though lol hahaha


Who was impressed by among footwork scene? 

LiteBulb: I was impressed by a lot of the Legends of Footwork, Rashad, Spinn, A.G, Steve-o and Tristan of "Terra Squad" can't forget Que, Pooh, Deryon and Eli from  "WolfPak". Two other mentors I admired was Hott from the Tunnel and the creator Ant Brown.... All talented individuals and highly regarded in the Footwork Scene.


Please tell us about Terra Squad.

LiteBulb: Terra Squad" or T.S is the Legendary Footwork Crew from the Southside of Chicago. They really helped innovate Footwork and had a powerful impact on many of the styles you see today alongside WolfPaK, The Tunnel, The Dungeon and many others from back in the day. This also was my first Battle clique I joined and still pay homage to today. Back when I was apart of the Crew we were a larger group of at least 50 members and we used dominated the Footwork scene as a family. After certain members left including myself at the time, The group sort of fell back which explains why T.S is very different now from what it was but still represents one of the greatest footwork crews around Chicago!. 


Whats impressed you abount Juke/Footwork culture?

LiteBulb: Honestly what's truly impressive about The Juke/Footwork scene is that it's continuously spreading worldwide.... not only the music but the real love of the dance that we appreciate!.  Even you guys sending this article all the way from Japan to hear and ask questions about our culture is impressive, groundbreaking in fact... It's unbelievable, this article is history in itself!.


What is most important thing to dance Footwork?

LiteBulb: In my opinion, the most important thing is to be confident in yourself and personality to even pursue the craft!. Once you've realized that, you can begin learning the core basics and fundamentals of Footwork and how to utilize them in combinations and sequences, not routines... After you learn your history anyway you can to set a foundation for yourself but most of all, Love the music.. It's an extension of you and your personality!..


What was the differences between the time you met footwork and nowadays. Any changes do you find?

L: Well I came around in early 2006 so the big difference would have to be the accessibility of Footwork music and dance via The Internet( YouTube, Social Media) The Pace of FootWorking was already fast paced by the time I came around, so it was already set to Evolve once the web came into play.


We do respect DJ Rashad. Any memories with DJ Rashad please?

LiteBulb: Too many memories to even begin remembering them all, I was always around giving my input on Traxx and just being around him. He really saw Me as one of the best and him and Spinn always made sure I was on my A Game hahaha but to sum it all up,  my greatest memory would have to be touring the world with Rashad and Spinn, sometimes I was the only dancers that came along, so it was special for me! We always had some crazy inside joke we ended up laughing at on every tour, especially when we were all together, too funny.. We took over stages together though, from London all the way back home in Chicago!.


Could you talk a little bit about how you got involved in it THRA?

LiteBulb: Well it started back in 2012, I departed ways with Terra Squad and started a crew with my close friends Chief Manny, Ste-lo, Dempsey and City in order to push our culture and what was passed down to us from the originators to the next level. We were called "Nu Era" in the beginning.   A couple years later after returning from performing at the London Barbican Festival with R.P Boo in 2014 I was asked by Spinn to not only tour again but that I could bring another Footworker of my choice!. So instead of Going under the name "Teklife" we recreated our own crew and brand called "THRA" to go along with the "Teklife" Crew to forefront the dance and music together as one!. We eventually had a meeting and pulled in P-Top from "Goon Squad" a crew located on the North Side of Chicago. He was the missing link including videographer Wills Glasspiegel given all the work I've done in the past with both of them.We Footwork, we also put together our own Management team and produce our own art and videos... We do it all! We are THRA! We're really on a mission spread what we love the correct way...


Please tell us future activity/work of you and also THRA?

LiteBulb: Well our future is bright! from now  going into 2015 we're actually preparing a movie/stage show to be streamed from our YouTube channel and prepped for touring and performing globally. It will really capture the essence of footwork and what some of our everyday experiences are. Really giving people another inside perspective of what every Footworker at some point in their lives went through. Aside from our own projects we'll also be collaborating with our partners "Teklife" on videos, tours and events/stage shows as well. Be on the lookout for us to be featured on several projects very soon!. Stay tuned!


Could you tell us 5 to 10 of your favorite footworker with your comments if possible? 

LiteBulb: My Top 5-10 Footworkers would have to be Ant Brown, A.G, Que, Hott, Steve-O, Tristan, Pooh, Eli and of course Deryon... I learned various different styles from each one of them but Ant Brown, A.G, Steve-o, Que and Pooh are the most influential because of how they each elevated and helped me perfect my craft. A.G introduced me to all of the guys I named before so I give him the most respect of them all. I learned the original moves from Anthony Brown in my later years to help push me to another level that I'm at now in my eyes!. Great teachers of the craft


Could you tell us your 10 of favorite Juke/Footwork tracks with your comments if possible?

LiteBulb: Finally someone asked!. Lolbs but my top 12 Couldn't just do 10...My favorite footwork Traxx would be as followed: 

1.) DJ Rashad - Let U Know (DJ Rashad "Double Cup")

2.) DJ Rashad - iPod (DJ Rashad "TEKLIFE Vol.1 Welcome to the Chi")

3.) DJ Spinn - Deep13 (VA "FreshMoon Presents: 808k V.1")

4.) RP Boo - GET'M (Unreleased)

5.) DJ Rashad & DJ Spinn - Ghost (DJ Rashad "Just A Taste")

6.) DJ Spinn - Let Me Baby (DJ Spinn "TEKLIFE Vol.2 What You Need")

7.) DJ Rashad - I Don't Give A Fuck (DJ Rashaad "Double Cup")

8.) DJ Spinn & Taso - Burn Dat Kush (VA "NEXT LIFE")

9.) DJ Spinn & DJ Rashad - Sunshine13 (Unreleased)

10.) DJ Rashad & DJ Spinn - Who Da Coldest (DJ Rashad"ITZ NOT RITE")

11.) DJ Rashad, DJ Spinn & DJ Manny - O.T.S  (VA "NEXT LIFE")

12.) DJ Spinn & DJ Rashad - Welcome to My World (Unreleased)

These are my all time favorite Traxx from back when I started to now, I picked them simply because of the energy they bring to the floor and my spirit... Some are smooth and poetic but others are hardcore with jaw dropping baselines I can intricately move my feet and body too, it's the reason I love what I do!. 


You are so popular in Juke/Footwork scene in Japan. Please give the message to Japanese fans who are looking forward to your Japan tour.

LiteBulb: Really??? I had no idea I was so popular and had real fans like that, I'm really humbled and appreciative of the love and support from all over Japan from each one of you guys, it pushes me and my team to go even harder, seriously!. So to all the fans supporting THRA and our movement out in Japan.... Just be ready to have the time of your life when we get there! Have your Works together and be ready to get it in all night with THRA x TEKLIFE, Meet us by the Spearkers!.. We'll have special gifts for our fans as well!. Limited supply THRA LifeStyle 4 Life!. R.I.P Rashad & Miah

posted by BootyMusicJapan at 19:06 | TrackBack(0) | Interviews | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シカゴのトップ・フットワーカー、LiteBulb(TH王RA)スペシャルインタビュー

Text by 徳永刻(Booty Tune)

Translation by TEDDMAN(Booty Tune)

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LiteBulbはTH王RA(THE ERA、ジエラ)というクルーで活動しているシカゴ最高峰のフットワーカー。アグレシッヴさとエレガントさを兼ね備えたステップで知られており、シカゴのシーンで絶大なプロップスを得ている。DJからの信頼も厚く、DJ Spinn & Taso「Burn The Kush」、DJ Rashad「Kush Ain't Loud」などのミュージック・ビデオに出演したり、DJ Rashad、DJ Spinn、RP Boo、Traxmanの海外ツアーに帯同してフットワークを披露するなど、シカゴのリアルなフットワークを世界に広める役割を担う存在だ。

今回来日することが決まったLiteBulbにメールインタビューを敢行した。DJ Spinn、Weezyと共に「Hyperdub 10th Anniversary Closing Party」(東京公演:19日(金)渋谷WOMB  大阪公演:20日(土)アメ村CIRCUS)に出演するほか、いくつかのワークショップも予定されているそうだ。詳細が分かり次第、当サイトでもお知らせする。


Hyperdub10周年記念のクロージングとなる日本ツアーへの参加が決まりましたね。あなたとDJ Spinnが来日する事は日本のJuke/Footworkコミュニティの間で大きな話題になっています。日本のJuke/Footworkシーンについてはご存知ですか?

LiteBulb(以下、L): もちろん! 日本に行くのはTHRAの仲間たちと共にとても楽しみにしているよ。日本に行く事は自分たちが作っている歴史にとって大切な一部なんだ。日本のJuke/Footworkシーンについては前々から知っていたよ。日本の事は2012年にPrince Jron(※1)から初めて聞いたんだけど、その後すぐに自分で日本のムーブメントをチェックしたね。Battle Train Tokyoっていう今度初めて参加する日本でとても有名なイベントの事も知ってるし、BootyTuneやSHINKARONとか彼らが作り上げてきた日本のムーブメントの事は全て知ってるよ。実はこの夏、DJ Fulltono、DJ April、Weezyの3人がシカゴへ来た時に会う機会があったんだ!しかもWeezyにはシカゴにいる間にTHRAのメンバーになってもらったんだ!彼がチームに加わったのはとても素晴らしい事だったね。

(※1)Prince Jron…シカゴのトップフットワーカーの一人。HaVoCクルーのリーダーでFootworKINGzのメンバーとしても活躍している。


Juke/Footworkカルチャーが世界中に広まっている事に関してはどうお考えですか?

L : 20年とちょっとの歴史がある中で俺たちの愛している事が今までにない新たな高みに近づいている。それを感じるのは最高な気分だよ!自分にとってもすごく刺激的で影響を受ける事だし、それにこのカルチャーを広めていこうという決意を以前よりも強くする手助けになってるんだ。こういった心の支えは近年小さくなっているシカゴのシーンにもう一度息吹きを吹き込むために必要だったから、こうなるべくしてなったんだね!

ストリートダンスのイベントに出演した時の映像。フットワークを踊っているのはDJ Manny、LiteBulb、DJ Spinn、A.G.の4人。

Juke/Footworkカルチャーにはどのようにして出会ったのでしょうか?

L : もし君がシカゴの都市部か郊外出身ならJuke/Footworkっていうのは知ってるもんなんだ。俺も実際にシカゴで育ったし、ただ小さい頃からフットワークが出来た訳じゃないけどね(笑)。シーンにがっつりハマったのは高校2年の時、Latisha "Tish" Watersって人がリーダーを務めている"3rd Dimension"っていうダンスチームに所属していた頃さ。このチームは今は"The Empire"って名前で活動しているよ。フットワークをする事にしか興味はなかったんだけど、地元の街でのイベントやステージで実際にパフォーマンスする為にダンスの振り付けも勉強しなければならなかった。そうすれば練習してステージでフットワークをパフォーマンスする事もできるからね!そうして練習してる内にTishがTerra SquadのT.Yを紹介してくれて、T.YがTerra Squadのトライアウトに招待してくれたんだよ。そこから自分にとって初となるバトルチームに参加して、このシーンの一部になった。他の人たちよりも上手くなる為に頑張ったね(笑)。


シーンで影響を受けた人物は誰ですか?

L : 俺はフットワークシーンの様々なレジェンドたちから影響を受けているよ。Rashad、Spinn、Terra SquadのA.G、Steve-o、Tristan。WolfPakのQue、Pooh、DeryonやEliにも。それに自分が教わって尊敬している二人はThe Tunnelに所属してるHottと今のフットワークを作り上げたAnt Brownだ・・・みんなそれぞれの才能を持っているしフットワークのシーンではとても尊敬されている人々だよ。


Terra Squadについて教えてください。

L : T.Sとも呼ぶんだけどTerra Squadはシカゴのサウスサイドを拠点にしている伝説的なフットワークのクルーさ。T.Sはフットワークを革新させ、昔からWolfPakやThe Tunnel、The Dungeonなどの様々なクルーと共に今見受けられる様々なスタイルへ強い影響を与えてきた。それにT.Sは自分が初めて参加したバトルクルーで今も敬意を払っているクルーだよ。自分が参加してた頃は少なくとも50人くらいのメンバーが家族として繋がってフットワークのシーンに君臨していたんだ。後に自分を含む何人かのメンバーが抜けてからグループは前のように強くはなくなってしまったけれど、それでもシカゴにおいて最も偉大なフットワークグループの一つだね!

LiteBulbがTerra Squadに所属していた時代の伝説的バトル。先攻はFootworKINGzのKing CharlesとPrince Jron、後攻はTerra SquadのA.GとLiteBulbだ。

あなたにとってJuke/Footworkカルチャーの魅力とは?

L : 正直にJuke/Footworkカルチャーの何が魅力かって言うと、今現在絶える事なく世界に広がり続けている事さ。音楽だけでなくダンスにも愛が向けられている事には本当に感謝してるよ!こうして君たちがはるばる日本から俺たちのカルチャーについてインタビューをしてくれている事さえも魅力的なんだ。とても素晴らしい事さ・・・ 信じられないよ。この記事はフットワークの歴史の一部だね!


フットワークを踊る際に一番大切な事はなんですか?

L : 俺が思うに一番大切な事は、自分に自信を持つ事と、技を披露する時も個性を大事にする事だ。一度それに気付けば基礎や基本として学んだフットワークの技術を組み合わせたり連続で使ったりできる。ルーティーンじゃなくね。そして己を学ぶ事によって自分自身の土台が出来る。だけど何より大切なのは音楽を愛する事だ。音楽を愛する事は人の個性をより豊かにするからね!


あなたがフットワークに出会った頃と今現在で何か違う事はありますか?

L : 2006年の初めに俺はこのシーンに関わりだしたから、当時と今の大きな違いと言えばインターネットを通してフットワークの音楽やダンスに触れられる事かな。俺が関わりだした時点で既にフットワークのペースは早かったし、インターネットがシーンに触れさえすればフットワークは広まる段階だったんだろうね。


DJ Rashadを尊敬する人は日本にも沢山います。DJ Rashadとの思い出を教えて頂けますか?

L : 思い出すだけでも沢山あるよ。俺はいっつもRashadのそばで踊ってたし、Rashadの周りで過ごしてたんだ。Rashadは俺の事を本当にベストフットワーカーの一人だと思ってくれてたし、彼とSpinnは俺のゲームに対するスイッチをいつも入れてくれた(笑)。でも強いてあげるなら、俺にとって一番の思い出はRashadとSpinnの二人と世界中をツアーできた事かな。場合によっては俺が唯一の帯同ダンサーだったんだ。だから特別な思い出だよ!よく皆で自分たちにしか伝わらないような本当にくだらない冗談を言い合って、どのツアーも笑って終わってたんだ。特に皆集まった時なんか本当に面白かった・・・もちろんステージはがっつり盛り上げてたよ。ロンドンから俺たちの故郷であるシカゴまで、そのすべてをね!

Sónar Festival 2012のステージの模様。LiteBulbはTEKLIFEクルーと世界中を飛び回っている。

TH王RAの成り立ちについて教えて頂けますか?

L : 2012年からスタートしたんだ。Terra Squadを離れて友たちのChief MannyやSte-lo、DempseyそれとCityと一緒になってクルーを作ったのさ。自分たちのカルチャーとフットワークのオリジネイターから受け継いできたものを次のレベルへと押し進めるためにね。最初はクルーの事を"Nu Era"って呼んでた。だけど2年後の2014年にRP Booと行ったLondon Berbican Festivalから戻った時、DJ Spinnに「ツアーに帯同するだけじゃなくてお前の選択で他のフットワーカーも連れて行ったらどうだ?」って言われたんだよ!だからTEKLIFEの一員としてではなく自分たちのクルーを作り直してTHRAって名付け、TEKLIFEクルーと共に最前線に立ち、ダンスと音楽を一つのものにしてやってるんだ。その後俺たちはシカゴのノースサイドに拠点を置く"Goon Squad"のP-Topとミーティングをして彼をメンバーに加えた。彼やビデオグラファーのWills Glaspiegelと共に今までやってきた事はTHRAにとって必要不可欠だったんだ。俺たちはフットワークをし、そして自分たちのマネージメントチームをまとめ、そして自分たちのアートやビデオをプロデュースする。全部自分たちでやるのさ!俺たちはTHRAだ!俺たちは自分たちが愛するものを正しい道順で広めていくミッションをしているんだよ。

Pitchfork Fes2014のベストアクトだと様々なメディアに絶賛されたDJ Spinnのステージの模様。TEKLIFEとTH王RAのメンバーが集結して故DJ Rashadに追悼を捧げた。

1:08からLiteBUlbの素晴らしいフットワークを観ることができる。


あなたとTH王RAの今後の活動について教えてください。

L : まず言える事は俺たちの未来は明るいってこと!俺たちは今現在、2015年に自分たちのYoutubeチャンネルで公開する映画やステージショウの準備をしているし、世界的にツアーを行ってパフォーマンスをする準備もしているよ。YouTubeで公開するものはフットワークの要素や俺たちが毎日経験している事を捉えた内容になるだろうね。フットワーカー達が生きていく中で抱いた他とは違う考え方を人々に与えるものになるよ。それに俺たち自身のプロジェクトに加えてパートナーでもあるTEKLIFEとビデオやツアー、イベントにステージショウなどを中心にコラボしていくつもりさ。近い内に公開されていくであろう数々のプロジェクトを楽しみしていてくれ!!Stay tuned!!!


あなた自身が好きなフットワーカーを5人から10人ほど教えて頂けますか?

L : 俺にとってのトップ・フットワーカーを何人かあげるとするなら、Ant Brown(※2)、A.G(※3)、Que、Hott、Steve-O、Tristan、Pooh、Eli、それにもちろんDeryonもだな。今あげたそれぞれの人物から様々なスタイルを学んだよ。だけど、Ant Brown、A.G、Steve-O、QueそれとPoohからは彼らがフットワーカーとしてどうやって今の地位まで上り詰めたかという点や、俺自身の技を完璧にする時に助けてもらった点から最も影響を受けたって言えるな。A.Gがさっき名前をあげた全員を俺に紹介してくれたんだ。だからA.Gのことは一番リスペクトしてる。Ant Brownには最近自分のレベルをより高める為に現在のフットワークの原型ともなったムーブを教えてもらったんだ!彼らはみんな最高の先生だよ。

(※2)Ant Brown…現在のフットワークの原型となったムーブを数多く開発。現在のフットワークの基礎を作った伝説的フットワーカー。

(※3)A.G…Terra Squadのリーダー。Traxmanの初来日公演に帯同して素晴らしいパフォーマンスを披露した。


あなたの好きなJuke/Footworkの曲を10個あげて頂けますか?

L : ついにこの質問がきた(笑)!申し訳ないけど10個じゃ収まりきらないから12個選んだよ。俺のTop12 Juke/Footworkソングはこんな感じ。

1.) DJ Rashad - Let U Know (DJ Rashad『Double Cup』収録曲)

2.) DJ Rashad - iPod (DJ Rashad『TEKLIFE Vol.1 Welcome to the Chi』収録曲)

3.) DJ Spinn - Deep13 (VA『FreshMoon Presents: 808k V.1』収録曲)

4.) RP Boo - GET'EM (Unreleased)

5.) DJ Rashad & DJ Spinn - Ghost (DJ Rashad『Just A Taste』収録曲)

6.) DJ Spinn - Let Me Baby (DJ Spinn『TEKLIFE Vol.2 What You Need』収録曲)

7.) DJ Rashad - I Don't Give A Fuck (DJ Rashad『Double Cup』収録曲)

8.) DJ Spinn & Taso - Burn Dat Kush (VA『NEXT LIFE』収録曲)

9.) DJ Spinn & DJ Rashad - Sunshine13 (Unreleased)

10.) DJ Rashad & DJ Spinn - Who Da Coldest (DJ Rashad『ITZ NOT RITE』収録曲)

11.) DJ Rashad, DJ Spinn & DJ Manny - O.T.S  (VA『NEXT LIFE』収録曲)

12.) DJ Spinn & DJ Rashad - Welcome to My World (Unreleased)

今あげたのは俺がフットワークを始めた頃から今現在を通してずっと好きなトラックなんだ。選んだ基準は単純に自分の魂やエネルギーをフロアに呼び起こすものかどうか。スムースで詩的な曲があったりハードコアで自分の足や体を複雑に動かせるような荒々しいベースラインが乗った曲もある。だから俺はフットワークが好きなんだ!

DJ Rashadの名曲'Ghost'。の0:54頃から「プーエイジキューライバ」という呪文のようなボイスサンプルが繰り返される。この印象的なフレーズはPoo、A.G.、Que、LiteBulbという4人のフットワーカーの名前を読み上げたものだ。


あなたは日本のJuke/Footworkシーンでとても人気のあるフットワーカーです。来日を楽しみにしているファンへ何かメッセージを頂けますか?

L : 本当に!?!? 自分が人気で本当のファンがいるなんて今まで考えもしなかった。とても恐縮な事だし日本で愛やサポートを送ってくれているすべての人たちに対して本当に感謝するよ。君たちの愛やサポートは俺やチームの皆をもっと燃え上がらせてくれるんだ。本当にね!俺たちTHRAをサポートしてくれてる全てのファンと日本で起こっているフットワークのムーブメントにシャウトを送るよ。皆には俺たちがそっちに行った時に会える時間を作っておいて欲しい!練習をしてTHRAとTEKLIFEと共に一晩かまし続ける準備をしといてくれ!スピーカーの下で会おう!俺たちのファンには特別な物を贈るよ!俺たちにしか作り出せないTHRAという生き方は一生ものさ!R.I.P Rashad & Miah

posted by BootyMusicJapan at 17:04 | TrackBack(0) | Interviews | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月24日

TEKLIFE FOREVER-DJ Rashad & DJ Spinnインタビュー

以下の記事は4月29日にアメリカの音楽メディアSPINのウェブ版に掲載された、DJ RashadとDJ Spinnのインタビューの日本語訳です。インタビュアーはシカゴの音楽ジャーナリストJessica Hopperさん、翻訳はBooty TuneのYukiaka3Dが担当しました。

彼らのDJ・プロデューサーとしてのキャリアを振り返るような内容で、これまで知られていなかったような貴重な話が満載です。冒頭ではDJ Rashadが日本のフットワーク・シーンの印象を語っています。翻訳を当サイトへ掲載することを快諾してくださったJessica Hopperさんに感謝いたします。

オリジナルの記事はこちら

Teklife Forever: DJ Rashad and DJ Spinn Reflect on Footwork's Chicago Origins, Global Spread

http://www.spin.com/articles/dj-rashad-dj-spinn-interview/


(:徳永 )


TEKLIFE FOREVER

DJ RashadDJ Spinnが語るFootworkの起源や世界的広まりについて

Interviewed by Jessica Hopper (@jesshopp)

Translated by Yukiaka3D (@Yukiaka3D)


rashad&spinn_430.jpg

この記事は故人を讃える為の物ではありませんでした。この記事はRashadSpinnがどうやってローラスケート場のパーティーからやって来たか。この年が彼らにとってどうなり、20年たった今、どうやって彼らの目標へとたどり着くか。どのようにしてサウスサイドだけに留まらず、日本で大きな存在になったか。この記事は昨年Rashadが彼の事を殺しかねなかった事故に見舞われた時、二人がどんな気持ちだったか。それを伝える為の物でした。

Rashadには人としての魅力があった。彼以上に魅力がある人なんているのでしょうか?彼が20年間の活動の中で抱いていた感謝の気持ちや熱心さはあなたが想像できないぐらいの物でした。そして彼は驚くほど謙虚でした。

Rashadは、Frankie KnucklesCurtis Mayfieldのように、永遠に壊れたままであるシカゴという街の人々の魂を元気づける音楽をつくりました。彼が作り上げたサウンドは街の若く活力に満ちた音となりました。彼の音楽には人々を癒す力があり、団結させ、あなたを取り巻く現状や問題、辛い出来事から解放してくれました。FrankieCurtisのように、彼には天性の才能があった。彼の音楽はシカゴの夏の音であり、夜の音であった。楽しんでいる時の音であった。彼の音は愛を返してくれないこの街の熱い鼓動だった。

Calumet Cityにある木製のパネルが敷き詰められた彼らのスタジオで、SXSW用の準備が終わっていないスーツケースや、未だに封の切られてない彼らのキャリア初期のフライヤー達に囲まれながら、3月半ばの昼下がりを共に過ごしました。私の心は地元への誇りでいっぱいだった。浮ついてさえいた。彼らの友情や音楽はもちろん、彼らの成功の話を伝えられる幸運な人間だと感じていた。


しかし、Rashadはもういない。彼は歴史となってしまいました。



SXSWではいくつ公演をやる予定ですか?

Rashad(以下R: 7つかな?あそこには火曜から金曜までいるからね。たくさんだよ。

Spinn(以下S): (数えながら)8つだね。


ここ数か月間、忙しい日々を過ごしているかと思いますが、今起こっている全ての事に関してどのような印象を持っていますか?

R: とてもすばらしいよ。本当に最高。良い気分だし、音楽も最高。ファンの人たちも最高だったよ。本当に素晴らしい気分。これは大変な仕事だけど、とても素晴らしい贈り物が最後には待っている。人々に会うだけで、わかんないけど本当に気分が良いんだ。恵まれているって言った方が良いのかな。俺は丁度この前初めての東京から戻ってきたんだ。東京には大きなフットワークのシーンがあったよ、とても素晴らしかった。俺達が取り組んでいる事をやって、それを更に高いレベルに上げている人達を見るのは最高だね。


東京の事について教えてください。行く前からそういったシーンがあるのは知っていましたか?

R: 俺たちは前々から日本のメインレーベルであるBooty Tuneとは連絡を取り合っていたんだ。フットワークをベースにしたレコードレーベルで彼らはシカゴのアーティストを沢山抱えているよ。シカゴには数回しか訪れてないけどね。

S: Juke Festには来てくれたよ。

R: 彼らフットワークできんだぜ!


貴方たちがとても長い間取り組んできた事が愛されているのを見るのはどんな気分ですか?

R: 最高だよ!本当に最高だ!!

S: 俺らはダンサーあがりだし、他の人達が自分達の音楽で踊っているのを見るのはね!言葉にならないよ。


彼らが貴方たちの音楽に対して感謝しているのを目の当たりにしたのですね。

R: 感謝するとかそれ以上の事だった。とても光栄だよ。俺が彼らと一緒にダンスしてる動画も見せてあげられるよ。あの時のパーティーは本当だったら5時半に終わるはずだったんだ。だけど彼ら帰りたがらなくって、最終的に終わってステージを降りたのは朝の8時半だった。

たぶんやめなきゃ帰らなかっただろうな。彼らはとても大きな愛と尊敬の念を見せてくれたよ。本当に素晴らしかった。


フットワークが持っている力の証ですね。貴方が今言ったようにあなたとあなたの仲間がやってきた事が、こうしてフットワークの全てを愛する人々を通して世界中に伝わっています。

R: 全てだ、本当に全てを愛してる。(笑)マジでデカいシーンだったよ。日本はわかってた。ロンドンはダンサーを取り込んだすべてのカルチャーをわかっていなかったんだ。もちろんその必要はない。だけど日本はわかってた。彼らはダンスもわかってたね。

誤解しないで欲しいんだけど、ロンドンも俺らの事を愛してくれてるんだ。俺達は人々が楽しみたいように楽しんで欲しい。フットワークをしなきゃいけないわけじゃない。だけど日本の彼らにとってフットワークはなきゃならない物なんだ。彼らは毎週末フットワークをするし、フットワークの大会だってある。シカゴみたいね。しかも超アツいんだ。見ているだけで良い気分だよ。歴史を守ってそれを国際的にしている。そんな事が現実に起こるなんて誰が思う?本当に最高だよ。


では歴史という所から始めましょう。この歴史が貴方たちにとって始まったのはいつですか?どの段階で今やっている事をやると気づきましたか?

R:(笑)

S: 歴史は常にそこにあったよ。(笑)だから俺らが出会ったんだし。基本的ね。


貴方たちの出会いについて教えてください。お互いの事をどう思いましたか?

R: 元々街で顔見知りではあったんだ。きっかけはThe Rink(シカゴにあるローラースケート場)っていう所でディスコパーティーが開かれていて、俺達はクラブには入れなかったから、そういった子供たちがそこに集まってたんだ。昔はよくダンスをしたよ。同じグループにはいなかったけど、お互いの事は中1か中2くらいの頃から知っていた。そして高校に上がった時、最終的に一緒になったんだ。一緒にホームルーム受けてたんだぜ?(笑)

S: 俺はRashadの事はDJで知っていたよ。DJとダンス・・・・それを同時にやるんだ。(笑)ブースにいてミックスしてる最中に下に降りてきて踊るんだ、んでまた戻っていく。


どっちが得意でしたか??

R: 昔? たぶんDJだね。(笑)

S: 俺には彼は下手だったとかスキルが無かったなんて到底言えないよ だってその頃の俺は彼を見て「すげぇな・・・」って感じだったし。(笑)

R: 何が面白かったって、つるみ始めた頃Spinnの奴「ああ俺はDJだ。」って言ったんだ。だから俺が「いいね。どんなの持ってるか見せてよ。」って言ったの。(笑)なんのテープだったっけ?

S: 俺はただテープを二つセットしてやるだけだったんだ。実際のテープを使ってミックスして(笑)、他のテープから他の曲を混ぜてた。The Rinkに行く一週間前に発表されたトラックが入ってるテープを持っていたんだ。それで「どうやって曲を手に入れたの?」「テープからだよ。」「レコード持ってないの??」「ないんだよね〜」って会話になって(笑)ターンテーブルは持ってたからレコードの事は知ってたんだけど、どこでどうやって手に入れるかわかんなかったんだ。そしたらRashadが「俺んちにいっぱいあるよ。」って。「マジかよ!?」って感じだったね。

R: それで俺の家に連れてきて二人で始めたんだ。


彼、覚えるのは早かった?

R: うん。だけどその時点でビートは作ってなかったね。その時の俺達はDJしてただけだったよ。彼には生まれつき才能があったんだね。


あなたがSpinnを家に連れてDJを始めましたが、どうやってそこから外でプレイするようになったのですか?2人の子供が外のターンテーブルに行きつくまでは本来ならとても長くかかると思いますが。

R: それなんだけど、俺は子供の時The Rinkで働いていたんだ。あそこでDJもして、Spinnもそこで働いてたんだよ。The Rinkの人達は俺達に土曜と火曜と金曜をまかせてくれたんだ。


The RinkでのDJはあなたたちを有名にしてくれました?

R:(笑)ああ、そうだね。俺らの年代じゃ俺達は間違いないって言われるような存在だった。The Rinkから始まって全てのスケートリンクに行ったよ。最終的には色んなリンクで色んなDJ達にあった。俺は12歳の時に本格的にDJを始めたんだ。KKCっていうカレッジラジオのオーディションに応募してね。KKCでは金曜と土曜の夜に子供にプレイさせる番組があったから、それで俺はSound Wavesって番組とFriday Night Audioって番組に応募したんだ。そこにDJ Gant-Manがいた。DJ NehphetsJana Rush とかLaTelle とか他の人たちもいたよ。たぶん11~12人ぐらいは所属してたんじゃないかな。そう、そこでGant-Manに出会ってPual Johnsonとか俺達が曲は知っているけど作った本人だなんて知る由もなかった人と沢山出会った。誰が誰だって知って浮かれたね。

MiltonDeeon。俺のアイドルだよ。そしてそうやってKKCで全ての人達と繋がるようになったんだ。

S: 俺は彼らのDJをずっと聴いていたんだ、でも彼らが本当にその人たちだなんて知らなかった。その後「KKCDJしてるやつらみんな俺が好きな人達だ!」って。彼らは俺がずっと聴いてきた人達そのものだったんだ。

R: 俺達若すぎてあんまパーティーも出来なかったしね。(笑)


その当時はどのくらい遅くまで外にいれたんですか?

R: DJをしたり理由があった時は夜中の12時から午前2時かな。その当時DJになるにはレコードを持ってターンテーブルを持っている必要があったんだ。もし持ってなかったら他のDJ達からの尊敬は得られなかった。みんな「どんなの持ってんのか見せてみろよ」って感じだったし。今は変わったね。昔は本当に大変だった。そういう人達に本気だと思われなかったから俺はダンスをやめたんだ。


どうやって彼らに本気だって証明したんですか?

S: 俺らが知ってる奴らはみんなスタジオを持っていたんだ。みんな俺達より年上だった。何人かは違ったけどみんなそうやってキャリアを進めて行った。俺達は若かったし他の人達がなにをやっているかなんて知らなかった。考えもしなかったし。それで最終的に自分の機材を手に入れる事にしたんだ。

R: 自分たちの機材をゲットして、DJもまだしていた。それが俺たちのプロデューサー業を更に高いレベルにしてくれたんだ。俺達は音楽を流していたけど、音楽も作りたかったんだよね。そしてそれを流して、ダンスしたかったんだ。

S: 今言ったような事は大体2年間で起こったことだよ。96年から97年。俺がやった初めてのパーティーはRobbinsって所でのだった。96年の初期にね。それが最初だったよ。


曲を流す側から曲を作る側に移行するのは自然な流れだったんですか?

S: そうなる必要があったんだ。だって当時はみんな曲作ってたし。

R: 必要に迫られたことだった。俺のキャリアはドラムを演奏するところから始まったんだ。ジャズバンドに所属していたんだよ。音楽は俺の人生の一部さ。まぁいいとして。ビートを作る限りなんというか、どうにかしてドラムマシーンやサンプラーを買って試さなきゃいけなかった。てかそうしない理由がない。俺達は他の人たちの曲を聞いて影響を受けてきて、もちろん自分らのアイディアが一番だけど、どっかしらサウンドを似せようと努力していたんだ。だって彼らのスタイルに感銘を受けて彼らに憧れたんだからね。俺はDeeonをよく聴いていたから彼のサウンドになるよう何度もトライしてた。

S: 実際はどんな機材を彼らが使っているのか知るのさえ時間がかかったよ。当時はそういったMPCや他の機材を紹介する雑誌なんてカタログをゲットしない限り無かったしね。俺の叔父さんだったか誰かがプロ用の機材カタログを持ってたんだ。それでそっから連想して「これボーカルチェンジャーかな?」って予想してその機材を試すのさ。

R: そうやっていく内に色んな人に出会って「これをゲットすべきだよ」とか教えてもらったんだ。だけどダンサーたちも助けてくれたよ。


そういった周りの人たちからのサポートは突然のものだったのですか?

R: 友達はサポートしてくれてたと思う。何人かは良いじゃんって言ってくれたし、でもどう思われたって俺らには関係なかったね。

S: 俺達はただ音楽を流したかっただけなんだ。

R: もちろん友達は気に入ってくれた。それこそ俺らが気にすることだったしね。彼らはダンサーでもあったから気に入ってくれたんだよ。そしてそれがDeeonMiltonRP Booといったレジェンド達と出会う大きなキッカケになったんだ。ダンスしていた俺達が最初に所属したグループ、友達はみんな同じダンスグループだったんだ。


そのグループの名前は?

R: 俺達の最初のグループはHouse-O-Maticsだよ。もしお前がHouse-O-Maticだったら、お前は最高の男なんだ。わかるだろ?

S: 彼らはテレビに出てたしツアーもしてたしな。

R: 毎年The Bud Billiken Parade(シカゴで毎年行われる最も歴史があり尚且つ全米一の規模を誇るAfricanAmericanのパレード)で彼らは勝ち進んでいった。マジでアツかったよ。

S: 彼らがパフォーマンスすると完全にショーだったんだよ。

R: House-O-Maticはよく51丁目のThe Elks(おそらくGreat Lakes Elks Lodge)でパーティーを開いていたんだ。俺達はそのパーティーにダンサーとDJとして参加していた。Ronnie SloanっていうHouse-O-MaticのリーダーでよくDeeonSlugoとか有名なDJ達をブッキングしていた人が俺やSpinnRP Booにもやらせてくれてたんだよ。


その頃あなたは何歳くらいだったのですか?

R: たぶん1516かな。


興奮しました??

R: いや、準備は出来ていたよ。俺らが待ち望んでいた事だったしね。そうやって彼がパーティーをこの郊外で始めて、そうそうあのポスターだよ。(壁を指さしながら)97年のだな。あれには俺行けなかったんだ。その時はLincoln Challenge Boot Campってのに居てね。高校には行ってたから。Thornwoodっていう。まぁどうでもいいんだけど(笑)俺達はこの郊外でパーティー始めて客はここまでやって来てたんだ。マジでハンパなかったんだよ。

S: その頃彼らは客をバスで市街から郊外まで送り届けててね。その事は当時知らなかったんだけど。でもそのパーティーの一員だった事は嬉しく思うよ。パーティーを一緒にやっている人達がいて、ギャラも少し貰えた。そんな事は想像もしてなかったんだけどね。

R: でもそんな事が起こると知っていたとしても俺達には関係なかったね。俺達が憧れ尊敬したDJ達と一緒に出演できるだけで幸せだった。そして最終的にはDeeonみたいな名だたるDJに代わってメインを任されたんだ。俺とRP BooSpinnでね。本当に良かった。なんというかそう、最高だった。

S: そのパーティーは最初300人くらいだったけどDolton Expo Centerでやったときには4000人までいったんだ。コンサートみたいだったよ。しかも音楽はハウスだけ。その頃はジュークなんてない頃だから、本当にゲットーハウスだけだった。それでただ全員パーティーを楽しむだけだった。


サウンドと言う点に関して、あなたは何か行っていましたか?純粋に人々を踊らせたいだけでしたか?

R: まず、ダンサーとして、俺達は何を聞きたいかわかっていた。ベースがあってクラップがあって〜

S: 速くてね。

R: そうする事で音に合わせて動くことが出来るんだ。何か俺達がやった事ないような事をしたくなる、インスピレーションを与えてくれるエネルギッシュなサンプルを使ってね。

S: パーティートラックを使う事が多かったよ。みんなそれ以前は色んな種類のハウスミュージックでフットワークしていたんだ。ゲットーで品がなくて生々しい、PJみたいなスタイルの物でね。

R: “Chase me” それが代表的な曲だよ。

S: あーやばいな。 Chase Meはホントに変えた。

R: 全て変えちまった。ベースが歪んでて、それに見てみろ。

S: あれは史上最高にシンプルな曲だ。

R: 史上最高にシンプルだよ。あれってこんな感じで(二人で歌いながら)「ぶぅんぶぅんぶぅんぶぅんどぅっどぅっどぅ〜♪」(笑)そして全てのダンスはあの曲に追従するようになったんだ。マジでアンセムだよ。ホントに全てを変えちゃった。


その曲に対して貴方たちはプロデューサーとしてどんな反応をしましたか?「これをやんなきゃ」ってなりました?

S: なんというか俺達のスタイルは中間だったんだ。RP Booが裏拍でクラップを取るスタイルを持ち出した。

R: 俺達のはハーフタイムで取るスタイルだった。ハーフタイムのを俺達の曲ではずっとやっていて、彼は裏拍でやった。だから中間さ。RPのとPJのね。両方のスタイルを混ぜて一緒にしたんだよ。そのスタイルで俺達はやってきた。


あなた達の音楽のスタイルに対して人々はどんな反応をしていましたか?

S: 俺達はある時期までスタイルを変えず伝統を守っていたんだ。テクノロジーが理由なんだけどね。The Bud Billiken Paradeは毎年行われるハウスミュージックのショウケースだった。街の上から下どこにいても聞こえるんだよ。

R: だけどあの頃のパーティーと言えば、警察に中止させられるし大変だった。今みたいね。発砲もあったし、95~99年の間は酷かった。俺が思うにあの頃からどんどん酷くなっていったんじゃないかな。ギャングとかの事だよ。あの頃は組織的だったし。マジで狂ってたよ。影響は無かったけど、ある面ではあった。でも俺達はやっぱり音楽が好きだから色んな場所に行き続けるだけだった。やめる事は無かったね。でもなんというか、人々はいつも音楽を愛し音楽と共に散々な目に合う。特に中西部ではね。だけど一度国際的になれば俺達には届かない人達がインターネットを通して聴いてくれる。シカゴだけじゃなく外の国からも注目を受けている限り海外でのリリースとかも重要になってくると思うけど。


特に過去8年から10年、シカゴから飛び出すのはとても大変な事だったと思います。カニエの手が選ばれた人達に対して差し伸べられない限り、他に飛躍する術はなかったかと。

R: 確かにね。おかしい事さ。07年から08年ぐらいからMySpaceを通して国際的に知られるようになったけど、ある時点までは全てレコードでやっていた。だけど9/11があって、全てをダメにしちゃったんだ。みんなレコードを買わなくなったし、色んなクラブは閉店するし。新しい技術も出てきてCDJやダウンロードも出てきて、ターンテーブルとどちらを選ぶかっていう葛藤もあった。でも新しい技術に新たなステップを見出せたんだ。だって俺達は自分の音楽を作っていたからね。99年に潰れちまったダンスマニアからはもう未発表なんて出る事も無かったし。全てがデジタルになっていった2003年ごろ、俺達ともサインしたデトロイトのGodfatherがレコードとダウンロードのリリースを両方やっていたんだ。彼とサインして名前が知られるようになっていった。

そして07年から08年ごろ、人々が付いてくるようになって、俺達に連絡してきた最初の内の一人であるイギリスのヘッドハンターが「お前の曲は最高だ。」って伝えてきたんだ。彼はダブステップをプレイしていた。そして2009年にFootcrabがあった時にやって来て、Mike Paradinasが俺達みんなをBangs & Works Vol. 1の為にサインしてくれた。Ghettoteknitianz、俺達のアルバムだった。Spinnのであり、俺のであり、Traxmanのであり、注目はそこからだった。

S: 多くの人がMike Paradinasの事を尊敬しているよ。彼が人々の耳をフットワークへ向かせたんだ。


その頃、シーンがある証拠なんてありませんでした。一つの事が好きだったら他の事を知るのに努力する必要はない時代ですし。

R: アルバムもごちゃまぜだったしね。好む人もいたし、嫌う人もいたよ。

S: ホント嫌ったな。


なぜですか?

R: なんでかって?(笑)みんなそれぞれの意見があるからさ。この位の事しか言えないよ。沢山の人が音楽の内容だけでなくサウンドも聞いたんだ。フットワークの多くは録音やマスタリングがきちんとされていなかったから、いくつかの曲は本当に酷かった。サウンドシステムじゃ良い鳴りをしないしね。だから人によってはプロダクションが最悪のジャンルだったし、ワンパターンとも捉えられたんだ。

S: クオリティだったんだよ。みんなクオリティの事なんて理解してなかった。スタイルもプロダクションも違ったんだ。これはシカゴミュージックだ。シカゴミュージックは人々に荒々しい音を届けた。そしてそれこそが最もリスペクトされている点だった。ほとんどの物はきちんとマスタリングされたり綺麗なサウンドにされていなかっただけなんだけど。


クオリティという面でハッキリとあなた達がやっている事はなにかありますか?

S: もちろんクオリティにはプライドを持っているよ。引き締まった音になるべくたくさんのベースを乗せてね。乗せ過ぎない範囲で。

R: 彼が言ったような事は新たな機材や技術が可能にしたんだ。90年代じゃ今やっているような事は出来なかった。

S: スピードあげてChipmunkみたいにしたり遅くしたりなんて出来なかったんだよ。(笑)


俺達はモニタースピーカーなんて知らなかった。コンピューターのスピーカーとサブウーファーだけだったよ。

R: みんな何も教えてくれなかったし、自分たちで学ぶ必要があったんだ。

S: 俺達はラッキーだったよ。だって俺達も他の奴らみたいにミキサー宅に1万ドルくらい注ぎ込んでいたかもしれないしね。よく「お前がホントにスタジオで作ったみたいな音を作りたいならこれ持ってなきゃダメだ。」っていう奴がいたけど、当時の俺は「んなもんいらないよ。Cakewalkでずっと行く。ミキサーもあるし、俺にはこの音が良いんだ。」って答えてた。(笑)


多くの年月を共にして新しく、尚且つサウスサイドの要素を持ったものを作ってきましたが、それまでやっていた事に対してどのような影響を与えましたか?

S: 俺らが高校を出てアーティストとして大きく成長していた時にはまだ仕事をしていたよ。


なんの仕事ですか?

R: 俺はFordで車の運搬をやっていたよ。んで俺はSpinnも雇った。Office Maxってとこでは運送をやってた。それでしばらくして働くのをやめたんだ。その後は仕事にありつけなくて、だから音楽に集中したんだ。

S: そしたらフットワークのクルーの連中が俺らの所にやって来て「俺達にはお前たちが作る音楽が必要なんだ。俺らの周りにいてくれよ。こういうのもかっこいいけど、俺達にはお前らが必要なんだ。」って。だから手伝う事にした。

R: その頃の俺はどっちかと言うとデトロイトっぽい物を作ってたんだ。シカゴの外からのブッキングを得るためにね。そうやって成功しようとしていた。フットワークはいつもやっていたし、新しい事にチャレンジもしたかったんだ。だからゲットーテックや売れ線のジュークを始めて、4年連続でDetroit Electronic Music Festivalにも出ていた。その頃の俺にとってそれはとてもデカい事だったよ。そんな時にフットワークの奴らは俺らの所にやってきて「戻ってこいよ。そんなの間違ってる。」って伝えてきたんだ。俺からしちゃ「戻るってどういうことだ?」って感じだった。

S: 俺はサウンドシステム持ってたから、もう知るかって感じでフットワークのダンサー達と一緒に企画して場所をゲットしたんだ。音楽を持ってやって来て俺達の為のステージを毎週末作った。新しい曲や新しいダンスの動きを生み出すためにそこを解放して自由に出入りさせて、本当に楽しかったよ。

R: 俺がフットワークに戻ってきたのは2009年だ。2008年の12月にSpinnに会って「俺は何をすべき?俺には何がたりてない?」って言ったんだよ。(笑)


あなたが戻ってくる気になった理由は彼らに触発されたり新しいDJ達と競い合いたくなったからですか?

R&S: (笑)

なぜ笑っているのですか?

R: 俺が戻ってきた理由は彼らに戻ってきて欲しいって言われたからだよ。

S: 他の人達をディスするつもりはないけど、ダンサーたちが本当に求めてたんだ。

R: ダンサーの視点からすれば、他の誰かのではダンスできなかったんだね。


音楽的にはどういう返答を出しましたか?

R: (笑)俺のカムバックは”I’m Blowing Like the Wind”だよ。そっからは一度も立ち止まっていない。あるパーティーでそれをプレミアして、MySpaceに乗っけたんだ。その頃はまだジュークのDJもしていたけど、その後はフットワークのシーンに戻って行った。その頃いたのは俺とSpinnChi-BoogieTraxmanとあと若い奴ら数人だったね。


”I’m Blowed” JUKEWORKZ (2009/JukeTrax)に収録)


その頃のあなたはFootworkが海外でも通用すると思っていましたか?それとも本当にそれはシカゴの為だけの物としてやっていましたか?

R: 通用するとはまだ思っていなかった。だけどアイディアはあったよ。パリはここ以外でゲットーテックが人気の街で、DJ FunkGant-manPaul Johnsonたちをブッキングする場所だったからね。でも当時は彼らが生で混じりっ気のないフットワークへの準備が出来ているとは思わなかった。彼らの好みはどっちかというと馴染み易いParty-BassBooty-Musicな曲達だった。だからフットワークに戻った当時は本当にシカゴの為だったよ。他の都市の事なんて考えた事もなかった。俺はただ昔から一緒に踊ってきた仲間達をレペゼンするために戻ったんだ。


シカゴの為だけであったものが、その段階を超えて以前までの状態をひっくり返したのは何でしたか?

R: シカゴの外がひっくり返したんだよ。U.K.の話に戻るけど、Planet Muとサインした時、俺にはMarcusっていうブッキングエージェントがついて、それで俺の初めてのツアーがロンドンとヨーロッパで2010年に始まったんだ。そして俺とSpinnのも始まった。チャンスを掴めたであろう他にいる全てのDJを差し置いてね。次に何を予期すればいいかわからなかったよ。


あなたはFootworkの親善大使です。あなたが人々を招き入れる必要があったんです。

R: あぁうん。俺達が突破口にならなければいけなかった。


どんな気分でしたか?

R: 良かったよ。手応えあった!って感じ。俺達、彼らはもっと売れ線のものを欲しがると思っていたんだ。だけど彼らは荒々しいのを欲しがった。だから俺達「よっしゃ!好きな事できるじゃん!いいね、最高。」って感じだった。こっちに戻ってパーティーしているみたいで、何が良いのかわかってたよ。

S: でも彼らはただ音にのってパーティーをしていたね。何人かはフットワークしようとしていたけど、彼らのほとんどはただ音楽を聴いているだけだった。

R: あと彼らはジャングルと結び付けていた。テンポ的にね。だけど実際はちょっと違う。あっちのBPM170でこっちは160bpmだ。だから近いんだけどね。どこに行っても俺達は突破口になる必要があったんだ。


UKには定期的に戻る必要がありましたか?

R: 2010年から俺達は戻るのをやめてないよ。戻る度に良くなっている。とても大変で、俺達にとってチャレンジだったけど、俺達がどんなにシカゴを代表して俺達のやっている事を表現したかったか、そして人々に見せて「これをチェックすべきだ」と証明したかったか。俺達のゴールはパーティーをロックする事だった。DJとしてそれがどんな集団であろうとダンスさせるのが俺の仕事だ。

S: 全てのショウで俺達は学んだよ。他のDJがどんなスタイルでプレイしているのかを見て自分達を変えていった。ジャングルが彼らのやっている事なら自分たちのセットに更なるスパイスを加えるんだ。あと俺達はマイクを持つ人があまりいない事に気づいた。もし彼らがマイクを持てばジャングルやダブステップをよりメディア向けの形に出来る。


あなたがマイクを持つときはどんなことを伝えますか?

S: なんでも。すべてさ。どこにいるかとか。聴いている人達に俺達がプロである事をわからせなきゃいけない。俺達は彼らにどう伝えれば良いかわかってる。

R: マイクを持つのは聴いている人達を熱中させる助けになるんだ。俺達は他のつまんないDJに代わって彼らを楽しませて満足させるためだったらどんな努力でもするよ。

S: 以前は聴いている人達はただ俺達の事を見つめているだけだった。それが最初さ。ただ見てるだけ。まぁそれでも会場を離れないだけ良いんだけど、でもそれが最良とは言えない。だって彼らは見つめているだけで俺達はDJしているだけだ。わかるだろ?だからマイクを持って「さぁ踊ろうぜ!」って。そうすると聴いてる人達は「わかったよ」ってなるんだ(笑)

R: 時にDJはフロアにいる集団をコントロールして聴かせる用意をさせなきゃならない。少なくとも注目を得るまではね。


では、地元で起こる事に何か変化はありましたか?よくシカゴのアーティストから地元に戻っても特に何か変わる事はないと聞くのですが。

R: あぁ間違いないな。(爆笑)

S: 一つ変わった事と言えば、俺達が世界をツアーする前にはDJした事なかった場所でもプレイするようになった事かな。たとえばAdrian’sとか(Markhamにあるナイトクラブ)。通りを上って行った所にあるんだけど、あそこでは設立以来DJをした事は無かった。ありがたがられないんだ。もし俺達が自分達のやっている音楽のセットやったら、たぶん良い感じにはなるだろう。だけど俺達の音楽はこういう都市のシーンじゃ喧嘩の原因になるんだ。これは俺らが地元で活動していた時からだよ。ジュークはプレイできるけどすこし注意深く選曲しなきゃならない。さもないとやっかいな事になる。若い奴らは21で俺達の音楽で育ってきた。彼らもわかってるんだけど・・・


喧嘩?本当ですか?

R: ほんとだよ。ずっと見てきた。みんなテンション上がり過ぎちゃうんだよね。

S: 俺だって見てきたよ。俺が知り合いの誕生日パーティーに行ったらそこにいた人達が「DJ Spinnが来てくれたぞ〜!」って、それで延長してジュークのセットをやるんだ。それはいいんだけどね。だけど2つの事が起こる前にその状況を変えなきゃいけない。フロアに誰もいなくなるのと、喧嘩が始まる事。10回に9回は喧嘩が先に始まる。


それはシカゴのDJにとって難しい課題ですね。

R: 誰かにぶつかったり。

S: 他の人の女を掴んで踊ったり。

R: もしくは他の人の男だね。

S: 色々さ!みんながダンスフロアにいる限りダンスは続いていく。しかしそういった事が起こった時は正しい選曲をしてみんなを落ち着けなきゃいけないんだ。だからジュークはしばらくの間ダウンタウンから締め出されていたんだよ。


では、シカゴの音楽に関してシカゴの外の人達が一番誤解している事はなんですか?

R: シカゴの外の人間がわかってない事は、シカゴで起こっている事はマジだって事だな。みんな何故こんな歌が歌われているのかわかってない。だから他の場所でこういう歌を歌って”300”3hunna Chief Keefがレペゼンしている事でも有名なシカゴのBlack Disciplesに属するギャング)みたいに振舞ってる。みんなジョークだと思っているけど、Drillという音楽で歌われている事は全部本当だってみんなわかるべきだ。シカゴに来て3hunnaなんて言ってみろ、撃たれるぞ。

S: あいつらハッキリと本当の事だってわかる様には歌ってないからな。それと俺達にはDrillから派生したBop Musicがある。Bopはダンスの事を歌っているし、俺は応援してるよ。

R: シカゴの外だと、シカゴにとってネガティブなものしか取り上げられない。シカゴにはもっといろんな物があるんだ。勘違いしないでくれ。シカゴではポジティブな事も続いているよ。


シカゴの人達はあなた達から何か『目に見える物』を欲しがったり期待をしていると思いますか?

R: 彼らは俺達がどんな人間でどんな事をしているかちゃんと見てわかっている。しかし彼らがそうする理由は俺達がDJであって俺達から利益を得る事が出来るからだ。だけどなんというか、俺達もシカゴの人間だからな。(笑)別に冷たく突き放すとかそういう意味じゃないけど、俺達もこういう事が起こっている同じ街の出身だ。彼らは俺達の事をフットワークを通して知っていて、俺達は自分達がやっているフットワークに関する事を代表している。この街からね。


それではこれが最後の話題となるのですが、前回インタビューした際、私たちはあなたの事故に関して話しました。あの時Rashadは「事故が物事に対する見方を変えて、今起こっている事にとても感謝するようになった。」と言っていました。Spinnにとってあの事故はどんなものでしたか?

S: あれなー。Rashadは俺の家に来る途中だったんだよ。空港まで送る為にね。だけど1時間たっても何にも連絡が無くって、でRashadの親父だったと思うんだけど、彼が俺に連絡付けてきて彼が事故にあったって教えてくれたんだ。「oh my god」って感じだった。もう病院に直行さ。(笑)着いたら看護師たちから治療を受けてて、んでこいつ囁くような声で「よお、あのトラック終わった?」って最初に言ったんだ。(笑)だから俺「そんな事考えてる訳ないだろ!!」って(笑)、大丈夫かどうかが一番気がかりだったんだから。(笑)

R: 病院の連中に色んなもん受けさせられてて、その時はたぶん薬のお蔭だけどすげー良い気分だったんだよね。みんな俺達の所に来て「お前知らないだろうけど、車の写真見たらお前散々だったぞ!」って。だけど俺「気分いいよ、すごく調子いい。たぶんツアーにもすぐ戻れるさ。」って言ったんだ。全然そんな事なかったんだけどね。(笑)


車を運転していたのですか? 事故について教えてください。

R: Spinnの家まで車を運転していたら後ろから突っ込まれたんだ。それでその衝撃で押されて反対からやってくる車に突っ込んで、だから両サイドから当てられたんだな。


その時の写真をみてどう思いますか?

R: マジで今生きている事が信じられないよ。さっきも言ったけど、ここにいられて本当に恵まれてる。たぶんホントはあの事故で助かるはずじゃなかったんだ。正直言ってあれはWake-Up Callだったんだと思う。いつあんな事が起こるかなんて誰にもわからない。あれは朝8時だったし、ツアーをスタートするために空港へ向かう途中の事だ。いつだって起こりうるんだよ。たぶん。わかんないけどね。俺はここに入れて唯々嬉しいよ。それが全てだ。ほんと散々な目にあったけど、たぶん2度目のチャンスを得たんだ。


Rashadは前もこんな感じでした? こんな感謝の気持ちで溢れていました?やっぱり変わりました?

R: Spinnに向かって)俺変わった?(笑)

S: うん。より良くなったよ。(笑)だけど事故が彼をそうしたとは言い切れないな。それまでの俺達からステップアップさせる様な事やそれまでの自分達を変えるような物事は俺達の周りに沢山あるからね。むしろこうなるには遅すぎだよ。俺達には背負っている物があるし。


家族はいますか?

R: 息子が一人。

S: 俺はもうすぐ生まれるとこ。

R: 俺達にも生活はあるからね。みんな俺達の事を所謂派手な人生を歩んでいるように思っている。だけど事故が生き方を変えたよ。そしてもっと真剣に取り組みたいって思うようになった。いつまたあんな事故が起こるかわからないしね。誰だってそうだ。本当にアレは俺にとってWake-Up Callだったんだよ。「おい、集中して自分のやっている事を続けるんだ。舵を取ったなら自分達で動かせなくなるまで続けるんだ。」って。そして楽しんで人生を歩むんだ。ってね。


舵を取り続けられるまで続けるんだって言うのは面白いですね。なぜならとても長い時間が経ていますが、あなた達にとってこれはまだ始まりのようですから。

R: 俺もそう思うよ。俺が見ている事は間違いなく、これから更にデカくなっていく物語の、ほんの始まりにしか過ぎないからね。




Special Thanks to Jessica Hopper, Kizaam & D.J. Kuroki Kouichi



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2014年03月19日

CRZKNY ロング・インタビュー 後編


シカゴのフットワーク・クルーTribe Nationalのビデオに2ndアルバム収録曲「Steam Massacre」が使われている。

前編はこちら

ーアルバムを作ろうとなった時にどんな作品にしようという構想のようなものはあったのですか?

1曲目の「Dirtying」を作った時に、いきなり4つ打ちから始めるのが、ライブの時のテンションに近いなって思って。色んな人にアルバムへのコメントをもらったんですけど、薫ちゃん(DjKaoru Nakano)が「ライブ盤じゃないけど、ライブ盤みたい」って書いてくれて。まさにそういうテンションというか、ライブ的なグワッといく感じのテンションのままのアルバムにしたいというのは思ってましたね。あと、作る前から2枚目は1枚目よりもめちゃめちゃダークでドロドロした感じの内容にしたいと思ってました。「Dirtying」ってことばを思いついた時に「これだ」ってなって。どちらかと言うと「Dirtying」という名前やイメージに引っ張られたという感じですね。中身がどうこうとか、この曲がどうだというより、イメージが先行してるというか。


ー最後の曲「DEADMANZ」なんかはまさにダークでドロドロした曲ですね。

この曲は外国の道ばたで人知れず殺される時はこういう感じなんだろうなっていうイメージで作りました(笑)


ー「DEADMANZ」を聴き終わった後に「Dirtying」の4つ打ちをもう一度聴きたくなって、もう一度頭から再生してしましますね。

曲順とかはそんなに考えてなかったんですけど、実際作ってみて「あ、これ15曲でアルバムなんだな」っていうのがなんとなく感覚で分かって、これ以上作んなくていいやってなったんですよね。「DEADMANZ」出来た時には、多分これが最後の曲だろうなってなって、「Dirtying」出来たときにはこれは一曲目なんだろうなって思ったんです。今、刻さんが言ったような循環するってイメージはどこかであったのかもしれないですね。


ーちなみにこのアルバムの制作時期はいつ頃なんですか?

確か、去年の10月くらいですね。殿が大阪でオーガナイズするパーティー「SOMETHINN」にRP Booが出演したんですけど、その時に俺もブッキングしてくれて。もともとアルバムは作る予定だったんですけど、少しでもパーティーの集客に繋がればいいかなと思って、それに合わせて作って会場で限定リリースたんです。その後、Doubliminal Bounceのボスの佐々木くん(Skip Club Orchestra)にも聴かせたら「いいじゃん」って反応だったので、今回Doubliminal Bounceから公式にリリースされることになったって感じです。まぁ、前回のアルバムでレーベルにマージン引かれるのが???ってなって、今回は一括で権利売っちゃいましたけど(笑) しかもプレスミスで刷り直しなんで2nd売れないと佐々木家が更に不穏になると思うので、SAVE THE SASAKIって感じでも買ってもらえればなーって。人為的なミスなんで自腹で刷り直ししてますからね、彼(笑)


ーライブについてお聞きしたいのですが、ライブする時に意識してることはありますか?

ジュークやる前にアニソン系のイベントに出て、ゴミみたいな扱いを受けたことがあるんですよ。挨拶もしてもらえないし、リハの時間も他の出演者は30分ずつ位あるのに、おれだけ3分くらいで「もういいっすかね?」って言われて。だったら「呼ぶなよ」って感じのイベントで。

それがあってからは他のジャンルのパーティーでも、声掛けてくれたら選り好みせずにやりたいなと思うようになりましたね。ジュークのライブができるのは楽しいし、お客さんにも楽しんでもらえたらなって思ってます。俺みたいのでもきっかけになってジューク知ってもらえたらって感じで。

ライブやる時、自分がテンション落ちてしまってクールにやってたら、観てる人もクールな感じになってしまうじゃないですか?直結した感じの安易な考えなんですけど、自分が楽しくやってたら、きっとお客さんにも伝わるだろうと思ってライブしてます。自分で作った曲だから、「この展開きた!」みたいなの分かるじゃないですか?それが来たら家にいる時のような感じでウオー!って興奮するんですけど、なぜか目の前にオーディエンスがいるって感じです(笑) フロアを観る余裕はないけど、とにかくライブは楽しんでやってますね。

あとはライブをやり始めた頃は曲を並べただけで、DJ的な感じで曲を切り替えるとかしてなかったんですけど、ある箱でライブをやった時に自分の曲のベースが全然出ないことがあったんですよ。そういうベースの出ない環境ってあるじゃないですか?そういう環境でも盛り上げるにはどうしたらいいかってことを、ライブでの共演者の方を観てると勉強させられるというか

ある時、「普通に奇麗に繋いでも楽しないでー」ってジャガーさん(D.J.April)に言われたことがあって、「確かにそうだな」って思ったんですよね。その時から、ライブはよりDJ的なスタイルに変えて(笑) DJ的なスタイルを取り入れてからはテンションが上げやすいですね。「これ今違うから、こっちの曲掛けてみよう」とか


ー最後に今後のライブやリリースの予定があれば教えてください。

まず3月の連休に合わせて20日(木・祝前日)に大阪、21()に東京の新宿LOFT22()新潟県燕町NULOでリリースパーティーがあります。20日の大阪はMIXWORKSからリリースされたアナログのリリパってことで、初めてフルエレクトロ・セットでライブします。東京と新潟はSHINKARONFruityとのダブル・リリパですね。LOFTで開催のSHIN-JUKEではゲストもいたりするかもです。

412日(土)にTokyo Electro Beat Parkの林さん(Yoshihiro Hayashi)の主導で東京でもエレクトロのリリパを開催してもらうことになっています。

419()、沖縄の熱血社交場で開催される「Clicker's Delight」にちょうど一年ぶりに出演します。1週間くらい滞在するので、メインのパーティー以外も色々企画中ですね。

428日には広島のCafe JAMAICASurgeonとやります。テクノやジュークを回してるmycoplasmaってDJが広島にいるんですけど、彼女が所属してるdepthってチームが呼ぶことになって。「ケニーさん、どうですか?」って言われて、Surgeon大好きなんで、二つ返事で快諾しました(笑) SurgeonRegisとやっているBritish Mader Boysというハードミニマルのユニットがあるんですけど、彼らの出した一連のEPがジュークに近いなって個人的に思ってて。インダストリアル系なんですけど、リズムがダブステップの原型じゃないですけど、3連のパートがあったり。そのイメージが『DIRTYING』を作っている時に結構よぎったんですよ。British Mader Boysには結構影響受けてますね。

524()広島のbar edgeであるLEF!!! CREW!!!のツアーにも参加が決定してます。


LEF!!! CREW!!!のミックスCDに収録されていたケニーさんのエクスクルーシヴ曲「M.O.R.O.R.A.V.E」はとてもカッコ良かったです。

ありがとうございます。最近はあんな感じの曲を作ってますね。自分の音がうまく出ない環境に対応するにはどんな音が必要かってことを曲を作る時に意識してるんですけど、最近TRAXMENRobert Armaniなんかのシカゴハウスを聴き直して「強いキックいいな」ってなってたんですよ。作っててスゴくテンションが上がりましたね。ただ、あの曲だけ音が異様にデカいので、ライブでやる時はいつもラストになるんですけど(笑)


ーリリースのほうは?

プレスミスで発売延期になってしまって、楽しみにしていたファンの方には本当に申し訳ないですが、2ndアルバム「DIRTYING」は4月6日に発売されます。

あと、デトロイトのMIXWORKSからはエレクトロの作品「RESIST EP」が発売中です。国内のレコード屋では軒並み在庫なくなってしまったようですが。それと、先ほど話題に上がった「M.O.R.O.R.A.V.E」はLEF!!! CREW!!!のミックスCDTHIS IS HARDCORE』の初回盤特典CDにフル尺で収録されています。

今後の予定としては、夏ぐらいからジュークの3rdアルバムの制作を始めようと思ってます。あと京都のAxさんのレーベルからもゴルジェ、ノイズやゴルジューク的な曲でアルバムを出したいなーと。そういう構想が頭の中にあるんですけど、今は正直ライブの準備でそっちに手が回らない(笑) 大阪でやるエレクトロ・セットが一番の山場ですね。エレクトロでフルのライブってやったことないので。いつもやってるジュークとはテンションが違うし、どうしようかなと色々ちょこまかやってたら、またアルバム作れるくらいの曲が出来てしまって(笑) せっかくのリリパなのに、アナログは品切れ、CDは発売延期で売るものがないので、リリパの会場限定で売ろうかなと思ってます(笑)お客さんもアナログはタンテとか無いから聴けないけどCDだったら聴けるって人もいるかもだし、って感じですねー。

3/20 (木)

"CRZKNY - RESIST EP" Release Party @大阪

https://www.facebook.com/events/249022868612368/

3/21 (金)

SHIN-JUKE Fruity x CRZKNY ダブルリリパ @新宿 LOFT

https://www.facebook.com/events/258102644358240/?fref=ts

3/22 (土)

Fruity x CRZKNY ダブルリリパ in 新潟 @新潟 NULO

http://www.nulokenoh.jp/2014/03/22/03-22-crzkny-fruity-double-release-party-in-niigata/

4/12 (土)

CRZKNY - RESIST EP Release Party in Tokyo @吉祥寺Forth Floor

https://www.facebook.com/events/228555794019851/

4/18 (金) 

トクメイキボウ x CRZKNY ELECTRO二人会 @沖縄 L-LINE

4/19 (土) 

Clicker’s Delight @沖縄 熱血社交場

https://twitter.com/CRZKNY/status/445529470972084224/photo/1

4/28 (月)

depth “SURGEON Japan Tour @広島 Cafe JAMAICA

http://www.clubberia.com/ja/events/219832-depth/

5/24(土) 

LEF!!! CREW!!! THIS IS HARDCORE RELEASE TOUR 2014 <no.16> @広島bar edge

Act: LEF!!! CREW!!!、CRZKNY、MVJIMOB and more...!!!

posted by BootyMusicJapan at 20:36 | TrackBack(0) | Interviews | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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